月刊NUKI-GAMERS第4回「NTR」告知 及びNTR概論

さあこれからバリバリblog書くよ! さしあたってメモリ増設にあたって勉強した内容を初心者向けにまとめて……とか思っていたらメモリを組み込んだデスクトップPCが死んでEeePCライフ真っ只中のもりやんですみなさんこんばんわ。記事内容は「自信がないなら中をいじるな、買い換えろ」に変更してお届けしようかと思います。HDDから色々救出しなきゃいけないのがクソめんどくさいです。
さて、12月はERO-GAMERSなしNUKI-GAMERSありの方向で告知を…………してませんでしたが、結果として当方のスットコドッコイにより両方なしになりました。で、NUKI-GAMERSについては次回、来年1月放送予定となりましたので告知いたします。

月刊NUKI-GAMERS第4回「NTR」放送予定

日時

2010/1/9 21時より 約2時間予定

内容

NTRエロゲーの紹介および雑談。

パーソナリティ

NTR」とは?

各webページにて表記が「NTR」と「寝取られ」で揺れてますがつまり寝取られのことです。といって説明したことになるのかわからん。つまり、自分が好意を抱いている、ないしすでに関係している相手が他の人と寝ているという物語展開、ないしそうした状況に興奮する趣向を言います。
ではNTRの魅力、そしてこれを論じる上での主要な論点とは何か。整理してみましょう。

マゾヒスティックな快楽

NTRが、受け手に精神的苦痛を与えることは言うまでもありません。実は例外もありますがひとまず措きます。NTRに快楽を見出す基本的な道筋はマゾヒスティックなものとなります。くやしい、でも/だから感じちゃう! というのは何も自分が直接辱められるに限らない。むしろ己の愛する者を奪われたとき、そして愛する者に裏切られたときこそ真の苦しみがもたらされる、これは普遍的な書き筋です。
ところで、マゾヒストの極まるところ、苦痛を与えられることではなく放置されることにむしろ快楽を覚えるようになると聞き及びます。NTRの難しさはこれに似ている。自らが傷つけられることを快楽に変換するのはさして難しいことではないのです。すなわち単に登場人物が苦難に見舞われる物語を楽しむのは。裏切り、これを楽しむことは高度な倒錯が求められます。ここに、単純な定義には収まりきらないNTRの技術が求められるといえます。それは何か。

自分以外に与えられる快楽

話を単純化するために、主人公が男性であり、ヒロインが他の男に抱かれるパターンを前提とします。しかるに、ヒロインと間男とはセックスすることになります。ここでヒロインの「堕ち具合」――間男を好きになるかどうかなど――には様々なパターンがあるのですが、とにもかくにもセックスすることだけは間違いない。主人公がヒロインを奪われセックスできない=放置される一方で。
ねたましい、羨ましいという心情は、快楽の影ともいえます。自分には与えられない/奪われているそれが感知できる範囲に確かに存在している。それによって引き起こされる欲求は、「逃がした魚は大きい」の諺の通りより強く大きいものとなる。まして、それが本来自分に与えられるべきものであったとすれば……。

エロゲーなのに……

別にエロゲーに限った話ではありませんが、通常、主人公とヒロインは「結ばれるはず」という期待が持たれます。典型的なエロゲーは主人公がヒロインをモノにするゲームであるから、そうした期待は特に強いものとなります。ところが、ヒロインとは結ばれないどころか、他の男と結ばれてしまうという事態が起こる。そこで発生するネガティヴな感情は他のメディアよりも大きくなるものと考えられるでしょう。NTRエロゲーにおいてしばしば多大な批判に晒されるのはこうした理由によります。なにゆえわざわざエロゲーでこんな苦しみを味わわなければならないのか。しかし、裏返せばそれは得られる快楽の大きさをも意味しているのです。

引き算の原理

「普通」のセックス描写とはどういったものでしょうか。ひとまず現代日本に話を限定するなれば、セックスとは、恋人/夫婦関係にある男女が合意のうちに行うのが、「普通」であり「フォーマル」です。では、セックスの快楽とはその形でしか得られないものでしょうか?
セックスと恋愛の関係は多様です。浮気、不倫、愛人、セックスフレンド、あるいは多人数、その他法と道徳に触れる様々な形態があります。倫理に反する故の背徳感――これがNTRについてまわることは自明でしょう。しかしそれは、倫理的に愛情を確かめ合うためのセックスと、方向性こそ違え、ある意味「不純」であるという点では同様ではないでしょうか?
セックスからそれにまつわる様々な感情の働きを取り除き、純粋に性の喜びだけを抽出する。主人公からヒロインへの恋愛感情の存在を前提とし、なおかつそれをスキップしてセックスに辿り着くNTRは、そこに到る道筋のひとつでもあります。

男性から見た女性快楽

エロゲーをはじめ、男性向けのポルノコンテンツは世間に多くありますが、その多くが男性ではなく、女性の快楽描写に注力しています。もちろん野郎の裸なんか見てもつまんないので描写は女性が中心になり、それでセックスを始めれば女性の快楽が多く描かれることは当然ですが、不思議といえば不思議な話でしょう。議論が拡散するため詳説は避けますが、ポルノにおいて我々が興奮するのは女性の快楽に対してなのです。
そのため、例えば官能小説では――特に古典的なそれでは、女性視点の一人称で展開するものがほとんどです。では単に女性視点で性的描写を行えばよいのか。ここで、物語に対する感情移入の問題が出てきます。感情移入の対象となる主人公は男性でなければならない。安易といえばあまりに安易なこの観点は、特にポルノにおいて決して無視すべからざる問題ではありません。主人公は善良でなければならない、という点においても。
では、善良な男性を主人公にして魅力的なヒロインとのセックスを描けばいいのか。それこそ安易な結論です。そこでは男性主人公の快楽が――「野郎の裸」が――必ず入り混じってくることになります。それは、ある意味ではノイズです。善良である以上、悪徳のセックスを描くことができないという問題もあります。そこで、感情移入対象としての男性主人公を保存したまま、セックスだけを切り離すというNTRの手法が意味を持つわけです。

と、いうような話を

ラジオではしようと思います。みんな聴いてね!