『ましろ色シンフォニー』プレイ直後感想、の、一部

紗凪ルートは必要か? ラブストーリーとしてのましフォニ

欲しいっちゃもちろん欲しい。が、失恋を乗り越えて強くなる報われないサブキャラってすっごい久々に見たので、そこを壊したくない気持ちもある。
結局、みう先輩の問題は寄り添って支えてもらうことでしか解決できないけど、紗凪の問題は本人が成長すれば解決できるので、「ヒロインが救われる」というところに重点を置けばみうルートの話が一番きれいではあるのよ。
ただ、ラブストーリーとしてはみう先輩の遺産を恋人同士協力しあって守っていくというのもそれなりに美しいんだよね。エロゲーはラブストーリーじゃねえ、という極めて精確な認識が、ライターにあるのかもしれない。
エロゲーはゲームなので、ヒロインを落とす/救うという要素のほうが、恋愛よりも本質に近い。すなわち困難→達成→報償シークェンス。で、文芸上のテクニックとして、相手を救いたいという気持ちを恋愛感情にオーバーラップさせるというのがある。本作はこれを上手く使っている。
愛理・アンジェ・みうシナリオのいずれも、新吾がヒロインの隠された脆さに気付くことが恋愛のきっかけになっている。桜乃シナリオだけそれがないので、ビミョー。そこで、ヒロインの、主人公を救いたいという気持ちを同時に描くのが今風なところ。
エロゲーにおいて「ヒロインの、主人公を救いたいという気持ち」が描かれるようになったのは、ヒロイン攻略というゲームシステム→ヒロインを救うというシナリオ類型→ヒロインが主人公を救うという発展したシナリオ類型 という順で導き出されていて、実はゲームシステムとは直接関係ない剰余。
剰余であるがゆえに文学的な奥行きを持ち、間接的にゲームシステムに還元されるゆえにゲームシナリオとしてよくフィットする、というなかなか優れた技法。極稀に、ヒロイン選択肢の導入によって、一周してゲームシステムに直接接続されたりもする。
エロゲーの本質はヒロイン攻略であって、ヒロインとの恋愛ではない。エロゲーはラブストーリーではない。そこで、ゲームシステムとの距離が近い、「ヒロインを救う」というシナリオ類型を援用してラブストーリー的なことをするのがわりと普通のエロゲー
本作においては、「ヒロインの、主人公を救いたいという気持ち」という剰余部分で本格的なラブストーリーが展開されている。論理的。
学園長が語る「もうはんぶん」というテーマを強烈に意識させつつ、主人公とヒロインの鏡像的関係に言及する愛理・アンジェシナリオは、エロゲーにおけるラブストーリーとしてはかなりよくできているといえる。特にアンジェシナリオが好きだなー。
じゃあみうシナリオはどうか。「ヒロインの、主人公を救いたいという気持ち」を描きつつ(もちろんそこで新吾とみうのラブストーリーは展開される)、さらなる剰余である紗凪を使って真性のラブストーリーを展開している。そう、だから紗凪って攻略できちゃいかんのよ。
アンジェ・みうシナリオについては、相手を救いたい気持ちと、自分が救われたい気持ちが、重なりあうように描写されているのが美しい。アンジェの「野良メイドは見た!」がまさにそういうシーンで、あれは泣けた。絵面が本当に「野良メイドは見た!」だったので噴きそうになったけど。
アンジェシナリオの瑕疵を言うと、アンジェの抱えている多重的な問題――「メイドをやめられないこと」/「主が見つからないこと」がうまく提示できていなかった。解決を諦めて、かえって問題を固定化してしまっただけに見える。単に見せ方が悪いだけなんだけど、それだけに残念。

エロゲーにおけるラブストーリー、文化的未熟

エロゲーはラブストーリーのメディアではないので、物語技法の蓄積が少ない。本作には、そのジャンル的未熟が表れてしまっていると思う。愛理ルートとか語り口がぎこちなさすぎ。
表現したい要素やシーンを物語(キャラクターの感情・出来事)の自然な流れに沿って提示できていることを、ぼくは「流れの中での得点」と読んでいます。逆は、「セットプレーでの得点」。
物語をスポーツに喩える際の共通のツッコミとして、「物語の受け手は対戦相手じゃない」というのがあり、ド真ん中ストレート肯定論に使われたりする。そういう意味でセットプレーの何がイカンのかという話はあるが、素直でない人間というのはいるもので。ぼくとか。
で、愛理ルートとかの「段階を踏むカップル」は、面白いんだけど、微妙にセットプレー的ではあった。そこで、物語の流れを生み出すために愛理の家庭問題が利用されるべきなのだが、うまく扱い切れず、流れが寸断されていた。そういうところが、ぎこちないと思う。
「段階を踏むカップル」というのも、少女漫画なりのラブストーリーが成熟したメディア・ジャンルであれば、二人が確執や気恥ずかしさを乗り越えつつ少しずつ接近していく過程として、自然に描いている作品がちゃんとある。本作では、二人の約束事になってしまっている。ぎこちない。
いちゃラブエロゲーについて。エロゲーにおいては「ヒロイン攻略」が目的になるので、攻略完了=カップル成立後が描きにくい。純愛ゲーでエロシーンが一回しかない問題。いちゃラブゲーは、そうした問題に対する回答としてあるのだが、あまり詳しくない。
いちゃラブエロゲーの作り方。攻略完了後のアフターストーリーを付ける。物語を締めるために別の問題を立ち上げる。……くらいか?他に思い付かない。恋愛に伴う困難をすっ飛ばしていきなりいちゃいちゃすると、恋愛っぽくないので、これがいちゃラブと呼ばれることは少ない。
で、保住圭シナリオにおけるいちゃラブの成立は、『こいびとどうしですることぜんぶ』とましフォニを併せて見る限り、「カップル成立以外の問題を立ち上げる」という方法論に拠っているようである。もうちょい詳しく言うと、「恋人同士でい続けるための努力」、「生涯共に過ごすための努力」という感じ。
本作の保住圭シナリオにおいては(特に愛理)、カップル成立時に看過された問題を、二人手を携えて解決してゆく、という書き筋…に見える…の…だが、いまいちちゃんと解決できていない。ので、いちゃラブしてるし、どうにかオチはついているのだが、カタルシスが弱い。
学園長の処理がうまくいけば愛理シナリオは一段階上の完成度になったんだけど。そこが残念。ただまあ、現状でも成立はしている。
みうシナリオについては、まあ、エロくはあるがだだ甘くはねーよなやっぱり……。胸がきゅんきゅんする感じがしないのは、やっぱりカップル成立前の困難をカッ飛ばしているせいかと。まあ、紗凪がきゅんきゅんさせてくれるわけだけど。

コミュニティものとしてのましフォニ

本作は、コミュニティものとしては辺縁に属する。明確な枠組みを持たず、「僕達」といってなんとなくイメージされる範囲のコミュニティ。要するにただの友達グループ。『Dear My Friend』よりもっと薄い。
枠組みが曖昧なのはともかく、コミュニティの姿自体も一定ではない。一応、共通ルートで愛理中心の「愛理の部屋組」みたいなものができるので、それをましフォニにおけるコミュニティと呼ぶことはできる。が、みうシナリオでは、ぬこ部になってしまう。みうシナリオが空気読めてないだけって面は多分にあるのだが、それにしても。
というわけで、辺縁である。それゆえに特徴的な部分もある。それは、特定の枠組みを持たないコミュニティを空中分解から逃れさせているものが何なのかという点。つまり、気回しマスター主人公・瓜生新吾。で、こっから先が激烈にややこしい。
友達グループも、統合に揺れる結姫女学園も、新吾の立ち回りで維持されている。では新吾が中心になってコミュニティが形成されているかというとさにあらず。彼がこだわっているのは「空気」の維持であって、彼自身も空気、つまり裏方の人間。グループの中心どころか参謀ポジションですらないのだった。
ゆえに、共通ルートで形成されるグループは愛理を中心にしているし、みうルートにおけるぬこ部もみう先輩の場。ところが、人物相関図は当然のように新吾が中心なのだった。 ましろ色シンフォニー
あれれ、じゃあヒロイン同士の関係がおかしくなってしまいませんかと。なってるんだなあ。愛理とみう先輩が何故か仲いいけどよくわからん、というところにそれが表れてしまっている。それを補うようにぱんにゃが愛理になついているのだが、そりゃあずるい。
こうして、王座が空位のグループが出来上がる。つったってただの友達グループだろ、なのだが、ただの友達グループこそ、中心人物なり共通の趣味なりで繋がっているもの。それがない本作のグループは、強力な気回しさんが複数で気を回しまくって維持されることになる。
エロゲーでコミュニティものが要請されるのは、遡れば個別ルートで攻略してないヒロインを消さないためであり、その点では機能しているのだが、本作の場合、友達グループ自体が魅力的なのかどうか、で疑問が生じる。かえって息苦しくね?
一応そこにもシナリオ上の回答はあって、空気を読み過ぎる新吾をヒロインが救うことになる(桜乃の仲間はずれ感がひでえ)のだが、グループ自体が魅力的なのかは結局疑問なのだった。まあ、野暮なツッコミではある。
しかし、新吾アンジェみうという気回しマスターズが全力運転してようやく維持されるグループってどうなのよ、という素朴な感覚はやはりある。おかげで野良メイドがきれいな野良メイドになっているし。
全員いい子で気回しさんだし、特定人物に理不尽なしわ寄せがされているということはない、という反論が想定できる。が、常に自分より他人を優先するのは新吾アンジェみうの3人だろう。というか、そういう問題じゃない。 気回しさんたちがいなければなくなっちゃうグループって息苦しいじゃあありませんか。なら、仲良しだから自然に一緒にいるってほうが楽しい。
新吾がちょっとかわいそうだけど、ヒロインは空気読めないほうが面白かったんじゃなかろか。
みう先輩がアンジェを菜夏ちゃんと呼ぶのは関係性が複層的っぽくて良いと思う。こういう局外的な視点を持つ人は共同体に深みを与えるのだが、引き込む手順が明らかにおかしい。新吾と仲良くなってハーレム加入ってしちゃえば、かんたんではあるんだけどなあ。
みう先輩に近い印象のキャラは、『はぴねす!』の小雪先輩。超然とした癒し系で、グループからは一歩身を引いているという。『はぴねす!』の場合、春姫と杏璃が仲良しで主人公とクラスメイト、あとは主人公の妹と仲良しの先輩、春姫杏璃小雪が魔法科繋がりというごくわかりやすい関係図。……こんなんで充分なように思われるのだが。
で、あえて主人公のハーレムって線を外すのであれば、女の子同士の友情が欲しいし、実際大部分はそれで納得できる。しつこいようだがみう先輩だけが、なんでいるのかわからない。しかし、ちょっと外れめの立ち位置が魅力なのもわかるので、愛理と友達でも困ってしまう。どうしようなあこれ。

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ましろ色シンフォニー ぱんにゃぬいぐるみ

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