『Dies irae』と世界観拡張/時間軸拡張

読んだ。なんだろうこのアイディアの価値が作品に、作品の価値がプロダクトに正しく反映されていない感。
Dies irae』には、ルサルカ好きだからディエス好きです、と素直に言わせないものがあるのではないか。
FateにあってDiesになかったのは、シナリオライターの中にある世界観が変容することを許容する度量かもしれない。単に設定の可塑性と言ってもいいけど。使徒27祖や聖杯戦争が設定追加を容易にするのに対して、聖槍十三騎士団では辻褄合わせしかできない。
きのこ伝奇にしても神剣世界にしても無名世界観にしても、プロダクト展開は概ね世界観の拡張を成している。一方、正田崇世界観は都市世界に近い、歴史性を持っている。従って、商品展開においては歴史の時間軸的拡張を焦点とすべきように思う。
Fabulaをプレイする前のプレイヤーは、Also組も含めて、『Dies irae』を世界観ベースの物語と誤解していたような気がする。ともすれば、製作者側も。そうではなくて、Diesの魅力は歴史性なんじゃないかと。
Acta est Fabula各ルートのプレイ順はある程度固定されているわけだけど、むしろ必要だったのはそういう軽重付けではなくて、各ルート(ループ)を言わば「因果軸」的に配列することだったのじゃないか。「因|香純→螢→マリィ→玲愛|果」というような。
ああ、都市世界の商品展開が歴史性拡張だというのは、むろん『終わりのクロニクル』シリーズ開始後の話で、都市シリーズ単体で見れば世界観拡張的なんだけども。
都市シリーズが限定的ながらマルチメディア展開を可能にしたのに対して、終わクロ以降の作品が膨大なテキストを記述し続けることでしか成立していない、というのはそうした拡張方向の差異による面があるのではないかと。
まとめると、正田崇世界観は、主に歴史的な観点で記述され、時間軸的に拡張されているので、商品展開する上では正田崇本人がより多くのテキストを記述する必要がある。これは正直、エロゲーにはあんまり向いていないと思う。
キャラクターコンテンツ方面で歴史性を描いた作品というと、だいたい転生か血脈かどちらかを利用している。『Dies irae』だと両方使っている。そこで問題を指摘するならば、両者が分離していることだろう。
主人公・藤井蓮と聖槍十三騎士団の面々は基本的に転生の歴史を背負っていて、これは玲愛ルートで解決されるのだけど、玲愛を含めた攻略対象ヒロインたちは血脈の歴史を背負っている。そらあ、連とてもマキナといちゃついてるほうが楽しかろう。
さらに言うと、エロゲーなのに聖槍十三騎士団よりの「転生の歴史」のほうが面白いのはやっぱり問題で、そらあ、我々もロートスとルサルカがいちゃついてるほうが楽しかろう。
ついでに、ルート横断的な物語展開が、SF的/ファンタジー的な設定を開放していく方向なので、最終ルートの最終盤あたりに行くまで、聖槍十三騎士団の歴史という一番おいしいところにアクセスできない。つーか、実際にはドラマCDとかSSのリリースまで待たなければならなかった。