アイマス2騒動で顕になった「アイマスキャラ≠偶像」という事実と、二次元アイドルのふたつのあり方

※関連喋ったもの→『もりやんと松波総一郎のWanna’be Cute!』第19回後半
アイマス2騒動*1は、「キャラクターという神」を「製品という偶像」が侮辱した、と捉えられた事例だと解釈することもできる。しかしそもそも彼女たちは偶像=アイドルなわけで……。ユーザにとって彼女たちは偶像ではなかった。それなりに重要なことではないのか。
とりあえずアイドル育成シム=『誕生 〜debut〜』っぽいやつ、ということにして話を進める。

藤崎詩織型」と「『誕生〜Debut〜』型」

二次元アイドルのあり方のひとつは、リン・ミンメイ*2、タカヤノリコ*3、ウインビー*4藤崎詩織など、キャラを「実在のアイドルのように」=ヴァーチャルアイドルとしてプロモートしようとするもの。キャラが芸能人として設定されている必要はない。声優のアイドル化と並行して進められた。こちらのほうが歴史が古い。
もうひとつは、もちろん、「芸能人としてのアイドル」の設定を持つキャラクター。中でも、『誕生 〜Debut〜』などのアイドル育成SLG。これは、アイドルの「素顔」に迫っていこうとする運動といえた。ゲームとしては、「歌入り」を可能にするマシンスペックが必要なため、前者よりも後発。
両者はギャルゲーの領域で最接近する。そこで、前者を「藤崎詩織アイドル」、後者を「『誕生〜Debut〜』型アイドル」と呼称することにする。なぜ前者はキャラ名で後者は作品名なのか? そこには、特定の人気キャラを祭り上げるか、アイドルとお近づきになれる構造を重視するかの違いがある。
藤崎詩織型」の二次元アイドル、あるいはそのビジネスは、現在のキャラクタービジネスの原型ともいえる。一方で、このタイプでは「原典」の重要性は薄れる。カネを生むのは藤崎詩織という記号を持った「偶像」としての関連商品であり、『ときめきメモリアル』そのものではないからだ。
なぜ、「アイドルの素顔に迫る」運動はゲームを中心としたのか? ゲームはヴァーチャルリアリティ=プレイヤーの「体験」としての側面があり、よりキャラとの距離を身近に感じることができた。それゆえ、アイドル育成SLGというジャンルが発生し、主人公はマネージャーやディレクターとなった。「『誕生〜Debut〜』型」のアイドルもの作品は、アイドルとお近づきになれる「体験」こそが重要であり、記号ではなく構造とディティールに価値がある。よって関連ビジネスは肥大化できず、商業的にはさほど大きな成功を収めなかった。
藤崎詩織型」と「『誕生〜Debut〜』型」は、「キャラクターの偶像化」⇔「偶像のキャラクター化」という、正反対の運動として捉えることができる。
しかるに、「藤崎詩織型」アイドルのファンは、「原典」やストーリーの多様化・相対化について概ね寛容である。極端な例では、『超時空要塞マクロス』の「架空のフィクション」設定など。まさに偶像崇拝といえる。
対して、「『誕生〜Debut〜』型」アイドルの場合、「原典」は「聖典」化する。「私自身」とキャラクターとの「絆」は、「原典」での「体験」を根拠とするからである。原理主義的であり、また個人の宗教的体験を重視する小乗仏教的性質を持つといえる。
いいかえるなら、ユーザは、「ときメモの主人公」としてではなく「私自身」として藤崎詩織と接し、「『誕生〜Debut〜』の主人公」として伊東亜紀に接した、ということだ。

アイドル像の変容 「高嶺の花」から「普通の女の子」へ

藤崎詩織型」にしても、「『誕生〜Debut〜』型」にしても、「アイドルもの」の流行は主に90年代に起こった。しかし、1997年の「モーニング娘。」デビューをひとつの区切りにして、国内におけるアイドル像自体が大きな変容を迫られることになる。「高嶺の花」から「普通の女の子」へ、「神に選ばれた天才」から「ファンに選ばれた凡才」へという、アイドルの民主化である。
「普通の女の子でもアイドルになってよい」というモー娘以後の世界において、「藤崎詩織型」のビジネスはその間口を広げ、キャラソンビジネスの拡大などにあらわれてくる。『はぴねす!』のように、ゲームの前にキャラソンが発売されたり。
一方で、もはやアイドルが「高嶺の花」でない時代、「『誕生〜Debut〜』型」アイドル作品は優位性を失い、「芸能人設定」は多数ある「キャラ属性」のひとつとなり、攻略ヒロインの一人としてひっそり混ざったりすることになった。『WHITE ALBUM』はその過渡期における作品といえる。
モー娘後、「芸能人設定」のアイドルキャラクターは、その「素顔」において「主人公」との関係を持つようになる。ストーリー的には、「素顔」を認められたり、デビューを見守られたりする。この構図は『WHITE ALBUM』の二大ヒロインに対応する。

新たなアイドル像への適応と、「藤崎詩織型」「『誕生〜Debut〜』型」の同居

アイドルマスター』で描かれるアイドル像は、「モー娘後」に対応する。ヒロインは普通の女の子であり、超人的な才能や精神力の持ち主ではない。これが現代で成立するのは、主人公を「プロデューサー」に位置づけたことによる。
アイドルマスター』の主人公は、かつてのように才能の原石を発掘したり、縁の下の力持ちとなって支えるのではなく、手持ちの素材を効果的に売り出すことが目的となる。ゲーム開始時に事務所所属の候補生から担当するアイドルを選ぶこと、テンション管理とファン数を重視するシステム。
ゲームとしての『アイドルマスター』は、しばしば『誕生〜Debut〜』の系譜に位置づけられるが、プレイヤーとアイドルの関係は、かつての「高嶺の花」時代とは決定的に異なっている。そのため、「原典」だけが重視されることはなく、「藤崎詩織型」のビジネスも可能になった。
アイドルマスター』といえばニコニコ動画だが、「○○P」と呼ばれる投稿者達によるアイマス動画は、一般ユーザにとっては「自分以外のPがプロデュースしたアイドル」の姿だともいえる。アイマスでは、自分がプロデュースする楽しみと、他人のプロデュースを見る楽しみが共存している。
してみると、『アイドルマスター』が公共空間でのプレイを前提とするアーケードゲームとして出発したこと(そして通信対戦機能を含むこと)は、その後のニコ動でのブレイクとちゃんと繋がるのかもしれない。
逆に言えば、「普通の女の子」でしかない『アイドルマスター』のアイドルたちは、「偶像化」も「キャラクター化」も大きな運動にはならない。両方が並立し、共存しているからこそ大きなパワーを持ち得たといえる。
よって、『アイドルマスター』ユーザは、状況によって、「偶像としてのアイドルのファン」(藤崎詩織型消費)と、「キャラクターとしてのアイドルのプロデューサー」(『誕生〜Debut〜』型消費)のどちらに軸足を置くかが分かれることになる。
これが、「作中のアイドルとしてのイメージ」と「関連商品のキャラクターイメージ」の分裂を招いていたりもする。例えば菊地真は作中「ボーイッシュなアイドル」「真王子」として消費されているわけだが、歌での真のイメージはべつにボーイッシュではない。*5
ところが、アイマス関連商品のキャラクターイメージは、次第に「作中でのアイドルとしてのイメージ」に近づいていく。言い換えるなら、「架空のアイドルの商品」と化していく。その典型例が、「THE IDOLM@STER MASTER SPECIAL 05」ジャケットイラストでの「真王子」*6であり、男性視点のリリックを持つ楽曲「自転車」であり、「番組」を模した文字通りの「ラジオ」ドラマだろう。
歴代CD商品での真の曲を拾っていくと、ゲームでの共通曲→「MASTER ARTIST」→「MASTER SPECIAL」と「架空のアイドルのCD」化が徐々に進行しているのがわかる。

MASTERPIECE 02
:エージェント夜を往く(女性視点歌詞)
MASTER ARTIST 04
:仮面舞踏会(男性視点歌詞、少年隊カヴァー)
MASTER SPECIAL 05
:自転車(男性視点歌詞)

考えてみれば、MSは思いっきり「藤崎詩織型」に偏った商品だよなあ……。また、『アイドルマスター ライブフォーユー!』では主人公の立場は「ファン代表」だし、『アイドルマスターSP』では961プロ所属アイドルはプロデュースできない。『アイドルマスター ディアリースターズ』に至っては、主人公としてのプロデューサー・男性キャラは登場しない。あー、商品一覧はPROJECT IM@S - Wikipediaを参照のこと。
で、つまり、アイマス2騒動というのは、アイマスの「『誕生〜Debut〜』型」消費を切り捨てた結果、起こったことではないかという話なの。ああ、ここまで長かった。

アイマス2はなぜ炎上したのか?

アイドルマスター』の関連商品・関連イベントの盛況、ニコニコ動画3大ジャンルとしての姿、声優人気は、「藤崎詩織型」消費傾向の強さを示している。しかし、アイマスの「原典」は「『誕生〜Debut〜』型」ゲームであり、その消費傾向は車の片輪として欠くべからざるものなのだ。
ディレ1インタビューでの以下の発言は、製作者の「藤崎詩織型」消費財としての『アイドルマスター』認識を示している。

――ユーザー側からアクションがあったわけですね。
石原 ユーザーさんが世界観を拡張していき、ゲーム世界という閉じた世界から、現実の世界にキャラクターが広がっていくということは、それまでほとんどなかったことだったんです。これには驚いたのと同時に、さまざまなメディアで活躍させるということがアイドルというキャラクターを最大に活かす方法論で、そして、それこそが春香たちにとっても、最大の望みなのかもしれないなと、思うようになりました。ただ、僕らが箱庭を作って皆さんに付加してもらうという、いわばユーザーさん頼みでヒットを狙うのは企業の姿勢としてありえません。皆さんとともに作り上げていくためにも、先頭を切って荒野を開拓していくのが、ウチの役目だと思います。『アイマス2』では、長期展開、クロスメディア化なども考え、より多くのメディアに対応していくために、初めからどんどんと、いろいろな新しい『アイマス』の見せかたを提案していくつもりです。
(強調は引用者)

実際問題、ゲームの売り上げより関連商品の売り上げのほうが大きいんだろうさ。だがそうであればこそ、「藤崎詩織型」消費を見据えればこそ、「原典」たるゲーム版『アイドルマスター』は、「『誕生〜Debut〜』型」ゲームとして十全の機能を備えていなければならない。
要するに女の子全員プロデュース可能でなければならない。「プロデューサー」として、「身近に」アイドルと接する「体験」がなければならない。
「原典」での「プロデューサー」としての「体験」なくして、キャラクターの「偶像」を心地良く消費することはできない……。アイマス2に対して沸き起こっている「ファン」の反応はそういう事実を示している。

まとめ

  • 二次元アイドル、またはそれを取り巻くビジネス、またはそれがいかに消費されるかは、藤崎詩織型」「『誕生〜Debut〜』型」に分かれる。
藤崎詩織 「『誕生〜Debut〜』型」
ヴァーチャルアイドル アイドルという設定のキャラ
特定の人気キャラを祭りあげる 作品全体がアイドルをテーマにしている
偶像化運動 キャラクター化運動
ファンとして崇める マネージャーなどの立場で身近に接する
関連商品を重視 原作を重視
偶像崇拝 原理主義(原典主義)
大乗仏教 小乗仏教
  • いずれも、「モーニング娘。」後の世界に適応できず、発展的に解消された。
  • アイマスは、アイドル民主主義時代に適応した。
  • なおかつ、かつての「藤崎詩織型」と「『誕生〜Debut〜』型」の特性を兼ね備えている。
  • アイマスの商品展開は、徐々に「藤崎詩織型」に偏っていった。
  • アイマス2は、「『誕生〜Debut〜』型」ゲームとして不完全だったため、炎上した。

余談

ジュピターじゃなくて少年隊が出ればよかったんだよ。
真「わ、わ、わ、はじめましてっ! ボク、ずっと尊敬してましたっ! カ、カバーもさせてもらって…」
ニシキ「はは、キミみたいな可愛い娘に言ってもらえてうれしいよ」
真「うひゃー!」
これなら許せる。

Memories

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THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 04 菊地真

THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 04 菊地真

*1:9・18事件とは (モウドウシタライイノカワカラナイとは) - ニコニコ大百科参照

*2:ミンメイがこれら作品中に登場する架空のアイドルと一線を画す理由は唯一つ、「ほんとにレコードを出しやがった」からに他なりません。波のまにまに☆のアニメ・特撮のゆる〜いコラム バーチャルアイドル考現学〜ウタでセカイが救えるか?〜

*3:発売当時の宣伝等では主人公であるタカヤ・ノリコとその声優である日高のり子、そしてオープニングテーマ『アクティブ・ハート』・エンディングテーマ『トライAgain…!』を歌っているアイドル歌手だった酒井法子の「トリプルノリコ」を売りにしていた。トップをねらえ! - Wikipedia

*4:ウインビーことパステルをヴァーチャルアイドルとして売り出すウインビー国民的アイドル化計画ツインビーPARADISE - Wikipedia

*5:このへん、『サクラ大戦』の歌商品でのキャラクターイメージが、「帝劇での団員イメージ」に沿っているのとは対照的ではないだろうか。アイマスだとブロマイドみたいのもないし。

*6:Amazon.co.jp: THE IDOLM@STER MASTER SPECIAL 05