『恋愛ゲーム総合論集2』寄稿原稿公開について

在庫僅少につき各寄稿者による原稿公開の呼びかけがあり、1年越しになりましたがここに公開します。
主催の故・then-d氏には随分と無茶な原稿も受け入れていただき、多くの寄稿者と共に評論活動を行う場を与えていただきました。少しでも故人の活動が顧みられるよう願うものです。

なお、一部脚注については、HTMLリンクに置き換えました。

「恋愛ゲーム」の周縁における体験談―卑賎なエクストリーム・アート―

1.まえがき

日本シリーズ第7戦、ホークスVSドラゴンズ@ヤフードームを観ながらこの原稿を書いている。1アウト2ベースバッター多村、ホークス追加点のチャンスである。
なんとも二番煎じ感漂う書き出しだが、残り時間とリアルタイム具合が前回の比ではない。思い返さば2010年冬コミ前、日シリ第7戦の開催日は11月7日であった。ロッテ日本一セールの最中にロッテリアで原稿を書き始めたものだが、地元ホークスの日本一セールを待っていたら、締切に1日間に合わなかった。ナゴドで決めちまえというのだ。こんなところで、今年の我が国のスケジュールの押し具合を想起させられる。
そんなこんなで、サークル「theoria」の恋愛ゲーム論集シリーズ、2冊ぶりの登板である。前回までは志願登板だったが、今回は依頼登板なので、正直気楽に構えている。というか、なんだかんだと前回の原稿「三宅章介(略)」で、「恋愛ゲーム」については、けっこう書きたいことを書ききった感があるのだ。それでも、then-dさんが抜きゲーネタでいいからなんか書けというので、まあ考えてみるとしよう。
というわけで、前回の原稿の、「恋愛ゲーム」なる語について書いた部分を引用してみよう。

いや、本誌で扱われているような作品群をひと括りに「エロゲー」と呼ぶことの問題はわかる。「美少女ゲーム」という語も作られた感があり過ぎる。「パソコンゲーム」ではなにをかをいわんやだ。だいたいにして女の子が出てきて主人公とくっつくのだから、「恋愛ゲーム」と呼んでしまえば大部分の作品をカヴァーできるのは確かだろう。だがしかし、それゆえに、(ぼくはひとまず「エロゲー」という表現を用いるが)エロゲーを恋愛でもって語ることは実に危険なのだ。

従って、「主人公がヒロインの隠されたトラウマを暴く」というシナリオ類型は、エロゲーの構造に極めてよく適合する。主人公がヒロインの内面にアプローチし、ヒロインに関する新たな情報を開示させるゲームデザインを行う場合、それがストーリー上、ヒロインの抱えたトラウマで表現されることは実に合理的といえる。エロゲーにおいては、ヒロインと恋愛するストーリーより、ヒロインを救うストーリーが適しているのだ。

さて、ここにおける「恋愛ゲーム」あるいは「エロゲー」の定義は、「ポルノ要素を含むゲーム」であることを前提としており、なおかつ「葉鍵後」の一般的イメージに準じている。乱暴に一般化すれば、「ストーリーの分岐およびポルノ要素を含むゲーム」のことであり、かつ、「商業、ないしそれに準ずる規模で流通する作品」という条件を暗黙裡に含むとしてよい。なんとなれば、作品の批評的価値、ぶっちゃければ知名度は、その流通規模に大きく左右されるからである。
では、かつてそのような作品を多数プレイしていた筆者が、今プレイしているの作品が、この定義に沿っているかといえば否である。原罪のぼくの主戦場はdlsite.comであり、そこで展開されている、小規模かつ「非収益的」な同人ポルノ作品なのだ。これは、システム面で見れば「CG集」としか解釈しようのないものを含んでいる。
いや、別にエロゲーの本質はエロCG集である、とかラディカルに過ぎることを言うつもりはない。しかし、「恋愛ゲーム」という語には包摂されず、しかし文化的にはその周縁に属するような作品群について言及することは、批評的見地からみてまったくの無為であるとは思われない。例うれば、現在商業エロゲーにおいて一定の勢力を獲得している寝取られ作品の流行は、商業流通に乗らない低価格作品において準備された面が否めない。
本稿で紹介する作品は、恐らく読者の大多数にとって認識も興味もない作品だろう。しかしながら、そこに文化はあり、そこに批評の余地は必ずあるのだ。商業エロゲーに「行き詰まり」を指摘する声の少なからぬいま、異質のコモンセンスのもと成立するこれら作品に目を向けることに、あるいは新たな可能性のひとつやふたつ見出されるやもしれぬ。うし、言い訳終わり。
『イラストとテキストを含み、PCプラットフォームで展開されるポルノ作品』
「準エロゲー」として、その文化的周縁に位置する作品の成立要件を定義してみるならば、こんなところだろうか。小規模なAVG作品はもとより、デジタルコミック、インタラクティヴFLASHコンテンツ、オリジナルドラマCDなどが、この定義には含まれ得よう。これに則り、個人的に着目する作品・製作者について、本稿で紹介していこうと思う。

2.DS[daemon slave]シリーズ(サークル「黒電車」

本シリーズは、なまいき悪魔娘こと「しるこ」をヒロインとする、イラストレーションおよびアニメーションによって成るポルノ・ストーリーである。
二次元ポルノにおいて、エロティシズム追求の過程で生まれてきた表現として、「淫語」と「アヘ顔」がある。「淫語」はエロゲー、「アヘ顔」はエロ漫画において、近年の主要なテーマとして存在してきたといってよい。淫語表現のシンボルとしての『戦乙女ヴァルキリー』シリーズ、その後嗣としての『姫騎士アンジェリカ』、そしていぐぅ声優ことサトウユキの活躍などは、比較的有名なトピックであろう。
「淫語」にせよ「アヘ顔」にせよ、一般に「美少女ゲーム」とも呼称されるポルノゲーム文化において成立した、いわば「デオドラント系*1」の過剰に清潔なポルノ表現へのアンチテーゼとして登場してきた面がある。それは破滅と崩壊のエロティシズムであり、可憐と美麗の否定といえる。一方で、「美少女」なきポルノ表現の限界もまた厳然と存在し、王道をゆくポルノ表現はその「破滅と崩壊」に足る美少女を常に用意せねばならない。サトウユキの起用はむしろ、その可憐な声質にこそ理由を求められるのではないか。
DS[daemon slave]シリーズの魅力は、激烈な調教行為による破滅と崩壊のエロティシズムと拮抗する、ポップでキュートな表現にある。例えば、ショッキングピンクのポップ系フォントによる淫語表現である。例えば、髪色と同系のピンクに彩色されたバサバサ系まつげ、艷めいたグラデーションの唇、描き込まれた歯列によって成るアヘ顔表現である。例えば、犬飼あおによる媚態そのものの音声演技である。例えば、主人公としるこの間に結ばれる、意外なほどストレートな純愛である。
本シリーズは、一般的なAVGの感覚からすれば、非常にプレイ時間が短い。それは、小規模流通ゆえの効率の悪さでもあるし、手の込んだトータルデザインが要求する制作コストのためでもあるだろう。一人のアーティストが、コストを度外視してやり込んで初めて突破できる領域にこの表現はある。しるこは可愛い。そしてエロい。なにか問題があるだろうか? しるこを追い続けてプレイを重ね、二人の愛の物語が示す道筋を知った時、その結末を求めずにはいられなくなるはずだ。

3.プリンセスサクリファイス 供犠姫フィーナの冒険(サークル「猫ひげラジオ」

同人ゲームの話をするのはよかろう。抜きゲーの話をするのだって悪くはないだろう。だからって制作中のゲームの話をするのはいかがなものか。いいんだ、今年一番ハマったゲームだから。それが試作版であったとしても。
本作は、エロティシズムをテーマの中核に置いたRPG作品である。その最大の特徴は、いつでもどこでも発生するエロイベントにある。戦闘中にモンスターに犯される。村を歩けば村人に犯される。裸体に精液まみれのまま往来を闊歩する。そのまま広場に立ち入って視姦される。それらすべてがスキルラーニングとステータスビルドによって自らを鍛え世界を救うことにつながってゆく。
かつてRPGと呼ばれたゲームがテーブルトークRPGと呼ばれるようになった代わりに、かつてコンピュータRPGと呼ばれたゲームはただRPGと呼ばれるようになった。戦闘とリソース蓄積と剣と魔法と魔王討伐を指すようになったロールプレイングゲームの本義、一人のキャラクターの人生を演じるゲームの醍醐味がそこにある。ああ、堕落ってキモチイイ……!
『プリンセスサクリファイス』ではなにができるのか? パンツを脱いでモンスターを誘惑し、絶頂スタンコンボで無抵抗のまま犯され死に、むくりと起き上がって半裸汁まみれのまま敗走することができる。イモを盗んで自警団に追い回され、とっちめられて輪姦された末無一文で放り出されることができる。圧倒的な被虐度で打たれるたびにMPを回復し、絶頂に怯えながらスキル連打することができる。淫売の噂に尾ひれが付いて、水浴びを覗かれ続け、ついには犯されることも……完成版では可能になるはずだ。
ムービーゲーと揶揄されたゲームは、自由度がないと貶された。ならば本作をプレイするべきだ。求めるべき自由はここにある。不死身の力によってあらゆる失敗が許容される、極限の自由がここにある。「便器姫」の称号を冠し、淫靡そのものの姿を晒しながら、それでもいちおう世界を救わんとする内気で健気な少女として旅することができるゲームが他にあるだろうか?
ポルノ要素を含むRPGはいくらもあるが、それがストーリー・ゲーム性と決定的に癒着し、互いに侵食し合ってまったくの異形を造形する作品は唯一無二と断言する。『プリンセスサクリファイス』、いま最も注目する「ゲーム」である。

4.あとがき

日本シリーズはホークスの優勝で幕を下ろした。まことにめでたい。地元福岡で繰り広げられる一大セールが楽しみである。すっかりと小さくなった気のする王会長の笑顔も格別である。また、完全なる有終の美を飾ること叶わなかった落合監督も、新たなモチヴェーションを得たのではないだろうか?
一仕事終えたあとの一服はまた味わい深い。今夜もまた、DS04のお世話になるとしよう。DS05と、プリサク完成版にまみえる日を心待ちにしつつ。