守られる心、救われぬ現実~『平和の国の島崎へ』#08「DEAR SHIMAZAKI AND HIS PORTFOLIO」

初回から興味深く読んでいた『平和の国の島崎へ』だが、最新話があまりに神回だったので記す。

『平和の国の島崎へ』について

上記の通り、第一話が常設無料で掲載されているので詳しくはそちらをお読みいただきたいが、読みたくなるように少し概要に触れておこう。

島崎真悟は、久しぶりに日本に戻ってきた日本人である。

もうちょっと詳しく言うと、彼は9歳からの30年に及び、国際テロ組織LEL(経済解放同盟)に拉致・洗脳され、作戦行動に従事していた。

本作は、地獄を潜り抜けて帰還した元少年・島崎が、見知らぬ祖国で過ごす日々を描く物語である。

日本での島崎は、同様の境遇にあった者たちとコロニーを形成し、LELから隠れるように暮らしている。
ちょっと公安に付け回されたり、日本の日常で起き得る水準のトラブルに巻き込まれたりしつつも、溶け込もうと努力している。

まあその、ちょっと、行動の選択肢の中に極度に効率的な暴力が含まれてはいるが、決してそれを行使することを望んではいないのである。

そんな島崎の「居場所」のひとつが、漫画家・川本マッハのアシスタントなのだ。

#08「DEAR SHIMAZAKI AND HIS PORTFOLIO」

ここからは最新話のネタバレを含むので、これから読もうという方はご注意いただきたい。

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第八話では、島崎と「絵」の関係について、大きく踏み込むことになる。

川本に連れられ、島崎は資料写真の撮影にやってくる。しばしの撮影の後、二人が昼食を摂る食堂で、LELが公開したPR動画に関するニュースが流れる。

LELへの共感を示すSNSの投稿を見て、暴力に対する芸術の無力を嘆く川本だが、島崎はごく当然のように反論する。

人間は夢想で心をまもります 暴力は人間の心の中にはふみこめない 暴力にはそのていどの力しかありません

その言葉に興味を惹かれた川本は、島崎が撮影した写真を確認する。写真には撮影者の内面が出る、と。
その川本の表情が、曇る。

この、写真の描写が、恐ろしい。まだ本編を読んでいないのにここまで読んでしまった人は、今すぐコミックDAYSプレミアムに加入してモーニング44号を見てきて欲しい。
凶器じみた網針。殺人者めいた漁師。バッタの死骸を運ぶ蟻。カメラを睨めつける猫。処刑台のクレーン。腸が巻き付いた木。
平和な、ただ平和な漁港で、こんな戦場写真じみたものを撮る人間には、一体どのような世界が見えているというのか。

川本の態度を訝しみつつも、島崎は描きためた自身の絵をまとめたファイルを見せる。
第一話でも描写されたそれを、初対面時の川本は褒めていたが、あの時の島崎は「お客さん」だったので、まあ、それほど真剣な評価でもあるまい。
しかし、今写真と見比べることで、川本に笑みが戻る。

島崎の絵は、素朴だ。題材は動物たち、ひまわり、食卓、街、居眠りする(おそらく)コロニーの仲間。技巧の程は、観察力を除けば子供の絵日記だ。
それは、写真とあまりに違いすぎた。優しすぎた。生き物は雄々しく、美しく、愛らしい。食卓も街も人も温かい。「死」の代わりに「生」の気配が満ち満ちている。

川本は島崎の言葉の意味を理解した。島崎が、本気で、体験に基づいて語っていることを。
暴力に埋め尽くされた世界の中で、夢想が島崎の心を守ったのだ。

「写真」と「絵」の圧倒的な説得力と両輪をなすのが、川本センセイの表情だ。彼の内心、島崎に対する想いがひしひしと伝わってくる。
島崎の絶望的な「世界観」を悲しみ、優しい「夢想」を慈しみ、心を守る行為を尊重する。そして、自分の想いを作品として世に送り出す。
この漫画の、そして「HIS PORTFOLIO」のタイトルを象徴するに相応しい人物だ。

川本に問われた島崎は、自身の作品集をこう名付ける。「平和の国」、と。

「平和の国」

今回の内容は、「平和の国」が日本(のみ)を指していないことを示している。

それは、日本に"あこがれてた"島崎が、心に抱き続けた夢想なのだ。暴力も拉致も洗脳も訓練も、彼から奪えなかったものだ。
そして、それが「形」を持ったものだ。

第一話の時点で、島崎が川本に見せた絵は、かなりの枚数にのぼる。いつ描き始めたのか、LEL時代なのか帰国してからか、それはわからないが、少なくとも彼は自分の作品を保存していた。
そして、縁あってのこととはいえ、一面識もない漫画家を訪ね、その際にも作品を持参した。今回持ち歩いていたファイルも、自分で作ったものだ。
島崎は、自分に持ちうる限りの力で、夢想を「形」にしようとしている。

指先を合わせ、口元をはにかませ、冗談めかして自作を名付ける島崎は、これでもかというほど照れまくっている。
この照れは、まさに「夢想」を口にする人間のものだ。この場合の夢想とは、作品をつくり、タイトルをつけ、そして世に送り出すということだ。

他者を思いやり、その幸福を願い、そのために力を尽くす。 夢想に形を与え、タイトルをつけ、世に送り出す。

「平和の国」とは、そうしたしごく積極的な行為のことだ。

あるがままの現実に、「平和の国」はない。作中の日本には戦場が迫り、島崎にはもっと近くまで迫っている。
平和な日本に生活しながらも、島崎の世界には血と硝煙の臭いが漂っている。暴力は心には踏み込めない。ただし現実を容易く傷つける。芸術を破壊し、命を奪う。

島崎の「夢想」の尊さを痛感させられたがために、島崎の「末路」を知る読者はなおさら胸を痛めざるを得ない。340日、340日だ。たったの。

あまりに素晴らしく、それがゆえにつらすぎる第八話だった。ぜひ見開きで読んでいただきたい。