おれは正当な読者〜『カグラバチ』第17話感想〜

ネタバレ全開なので注意。

六平国重の厄介オタクとして一部で人気だった双城厳一。彼と、国重の息子チヒロの決着が、17話「茶」で描かれた。
カッコイイバトルもさることながら、サブタイトル通り謎の精神茶室空間でのスイーツトークが異様に印象に残り、そこでまた双城は厄介オタクの名を不動のものとした。

だが私は、彼が厄介オタクではないことを主張しようと思う。

双城さんのオタク歴

双城厳一はヤクザであり、その中でも暴力に取り憑かれた男である。彼は恐らく、その暴力への指向性から、現代最高の暴力としての妖刀、そして、「妖刀の父」六平国重への興味を抱いた。そしてついには、妖刀の一振りである刳雲を入手することになる。
その偏愛っぷりは、「刳雲を預かった」という言い回しに端的に表れている。これは明らかに、「刳雲を所有していた人物から預かった」という意味ではない。妖刀は、唯一国重を除いては誰に所有されるものでもなく、使い手はそれを一時的に預かるだけ、という認識だ。

しかし双城は、「戦争を終わらせ英雄」としての国重像を「侮辱」と呼び、「彼の理解者は俺しかいない」とうそぶく。

妖刀は彼が生んだ…最高の殺戮兵器さ!!
ただひたすら 命を奪うために在るんだ

言うまでもなく、これは敬意の表れだ。それも、「自分の望む物を供給してくれる相手」ではなく「自分が歩む道の先達」への敬意。
オタクをこじらせた双城は、自ら(殺戮兵器としての)妖刀を生み出すことを目指し、そのための行動を起こしている。彼はただのファンではなく、ワナビーなのだ。

双城のこのような信念、そして目的のために手段を選ばぬ外道は、チヒロの「悪を滅し…弱者を救うため」妖刀を振るうという信念と真っ向から対立し、必然的な激突を導くことになる。
チヒロは国重の息子であり、国重の想いを直に聞き、作刀の過程も目にしている。国重に平和への願いがあったことは、(少なくともチヒロにとって)疑いようのない事実だ。

妖刀のオタク として、双城は間違っているのだろうか。勝手な解釈を他者に押し付ける、厄介オタクだろうか。
私はそうは思わない。双城の「解釈」は、妖刀という作品に触れ、読み込んだ上で、改めて確立されたものだからだ。

最初の対決が水入りとなった後、チヒロに「全てをわからせ」ることを欲し、「刳雲の全てを理解」して対決に臨むため、神奈備の精鋭との戦いに挑む。
この時双城は、刳雲を(入手して一週間ぽっちとはいえ)使いこなせない自分と、刳雲の性能を自分より深く知る「六平の息子」の存在に、明らかに揺らいでいた。
後に 恋する女子高生のように 告白した通り、神奈備の的確な戦術にもチヒロの影を感じ、劣等感を刺激されていた。

そもそも、自分の解釈が絶対に正しいと信じるなら、チヒロ(だけ)と「話す」必要はない。行動で、実力で、作品で示せばいいだけだ。
チヒロとの対話=対決を欲したのは、刳雲を理解し、自身の正しさを証明し、ひいては自分の妖刀を生み出すため。つまり、 国重の後継者になる ためだ。
刳雲への理解を深めることで神奈備を退け、双城は「六平の息子」との再対決に臨む。

スイーツトーク〜行間の前にまず行読め〜

謎の精神茶室世界で、双城はチヒロに語る。

認めるよ お前のその反吐が出そうな信念も

この台詞は、一見して意味が取りづらい、微妙な台詞回しだ。よくよく読めば、この「も」は、双城が「認める」のは、「チヒロの信念」 だけではない という意味だろう。
では、それ以外に認めたのは何か。それは、 六平国重の実像 ではないか。

今回のパンチライン

これも実に微妙な台詞回しだ。こういう場合、「知りたい」と「知りたくない」の分岐、つまり「知りた…」と止めるのが普通だろう。「知りたくて」の変化を受け入れるなら「知りたく…」もなくはないが、「知りたくな…」まで言ったらもう結論出てるじゃん。

解釈しよう。誰にでも解釈する権利はある。これは、ポリシーとして「知りたくない」のは最初から決まっているが、それでも「知りたい」という気持ちがあり、それを捩じ伏せて「知りたくない」を通した、という意味だ。

妖刀を漫画、刀鍛冶を漫画家に喩えよう。
漫画を解釈する時、「漫画家の実像」を入れないのが双城のポリシーだ。つまり、作品を作者から切り離し、独立した存在として受け取ろうとする態度といえる。
しかし、こと六平国重だけはわけが違う。それは、双城がワナビーであり、唯一の妖刀作者である国重から学びたいと願うからではないか。
双城にとっての受け入れ難い現実は、その国重の「実像」が、「彼の作品から受けたメッセージ」と矛盾するということだ。

それを彼は認めた。 唯一尊敬する漫画家を目指す限り、自分がありたいと願う漫画家にはなれない という矛盾を。
その上で、自らの 確立した解釈 を堅持した。刳雲が彼に応えたことは、紛れもない現実だからだ。
ここで、チヒロの側に問いが投げ掛けられる。 息子として知る漫画家の実像が、生み出された漫画と矛盾する ことを認めるか?

双城の「読者としての態度」は正しい。戦争を終わらせたという「実績」も、息子を愛する父親という「実像」も、作品とは本質的に無関係だ。
歴史家も、チヒロも、現実に描かれた妖刀の「行」を読まずに、「行間」だけを読んでいる。刀は人殺しの道具、妖刀は殺戮兵器。当たり前だ。それはそう。

双城は、堂々と自らの「資格」を主張する。チヒロが息子だろうが関係ない。自分もまた六平の代弁者、ひいては後継者たりうる者なのだと。

お前はまだ自分だけが六平の代弁者だと思ってる
俺もそう思っていた…だが違う
誰もが彼の代弁者に成り得る だからこそこの戦いに意味があるのさ

苦手な団子を飲み下すメタファーが素晴らしい。行を読む。現実を受け入れる。チヒロもまた矛盾を認め、自らの「解釈」を堅持し、それをもって双城の「解釈」を否定するのだ。

ここにおいて、「作品」を巡る解釈バトルは、六平の後継者争いという本質を露にする。言い換えれば、「父親」の愛を巡る兄弟喧嘩だ。
双城というキャラクターの魅力はそこだ。双城が「六平の息子」の存在に揺れたのは、妖刀作者という意味での後継者を自任するゆえだ。
言い換えれば、双城は(世間の風潮と反する)自分の「解釈」を、作者に認められたかったのだと思う。その精神性は、確かに厄介オタクといえるかもしれない。
しかしその手段は、「自らの信念に基づいて妖刀作成に辿り着く」というものだ。甘えがない。覚悟しかない。

ここまで考えると、「知りたくない」がまた深みを増してくる。
大前提のポリシーとして、彼が信じるのは「作品から受けたメッセージ」だ。
しかし、そのポリシーへの不安ゆえに、「作者の承認」を求める揺らぎがある。「知りたい」という気持ちがわずかに入り交じってしまう。
その上で、改めて「承認」を拒絶し、「証明」を目指すのだ。チヒロを打ち倒し、自らの妖刀に辿り着くことで。

これは、「父の愛」に依存するチヒロよりも、一歩進んだ態度だった。
双城との対決を通じて、チヒロは「父の願い」ではなく「自らの信念」によって行動することを学ぶ。妖刀が殺戮兵器であろうがなかろうが、自分が「悪を滅し弱者を救うため」の存在にするのだと。

刳雲をへし折る一瞬、父との思い出が駆け巡る演出が美しい。
チヒロはどこか、妖刀を「相続すべき遺産」と認識していたのだと思う。もちろん、性能云々ではなく、国重が自分の父親だからだ。
しかし、双城もまた「後継者」であり、「妖刀の担い手」であることを認めた。ひいては、「妖刀が自分への遺産ではない」ことをも認めた。
だからこれは、妖刀の「相続放棄」であり、「六平の息子」から「チヒロ自身」への脱皮だ。

本来チヒロは、妖刀使いなんかではなく刀鍛冶、というか鍛冶屋になるべきなのだ。
しかしこれは、必要な寄り道なのだろう。偉大な父への「解釈」と、自らの信念を確立するための寄り道。
その最初の障害として、双城厳一は完璧な敵役だった。あとはキッチリ地獄で罪を償って……いやでもこの描写だと致命傷とも言い切れないし……刳雲が身を挺して守ったようにも……

生存…? 〝双城生存√〟……?
おいよせ生存だと……!? 刳雲以外を使う双城なんて見たくな…見たくない!!

追記:遺産を捨て信念を通す決意

実はこの表情がずっとノドに引っかかっていた。読みが当たった瞬間にしては、渋すぎやしないかと。
それともう一つ。双城が実は、振り返りざまの一閃を躱された後、しっかり受け太刀をしている。これがなんか引っかかる。

まず行を読もう。「やっぱり」なのは、9〜10話で描かれた初戦において、背後からの奇襲を受け止められ(9話)、優速での回り込みにさえカウンターを合わせられた(10話)経験があるからだ。

チヒロは、カウンターを見た時点で(あるいはカウンターを予測した時点で)、カウンター返しに対する受け太刀まで予測していたのではないか。
双城を上回るオーバードライブで肉体を痛めつけ、残りの玄力を全て費やした涅に二の太刀はない。
受け太刀を予測したなら、双城のみを斬り、刳雲を取り戻すことは不可能だとも理解したはずだ。

この前提に立つと、一瞬の走馬灯が俄然味わいを増してくる。

チヒロは、刳雲を失うことを覚悟して、双城を斬ったのだ。
父親の意志と遺産より、自らの信念を通す決意をしたのだ。

さらに踏み込むなら、この「やっぱり」は、 信念のある男は、やっぱり強い でもあるのではないか。
なぜなら、チヒロが「団子を食う」ところが描かれたのは、双城がオーバードライブを始めた後だからだ。
認めなければ勝てない相手。 その現実が、チヒロに双城を認めさせた。承認ではなく、証明だ。

そう考えると、双城の受け太刀は、心理・物理の両面で、チヒロに覚悟を求めたことになる。
妖刀は必ずしもチヒロへの遺産ではない
双城を斬るためには、刳雲ごと斬らねばならない

渋い、渋すぎる。
サブタイトルが「団子」じゃなく、絵的には一口も飲んでない「茶」なわけだ。