水無月・アドルフ・ルックナーと因果悟が可愛い

シュピーゲルシリーズで可愛いのはなんつっても水無月。『救命戦士ナノセイバー』の因果悟をほんのり思い出す。盗聴はできても話しかけることはできない弱さ。「彼女」と自分は生きる世界が違うと諦めてる感じ。そして弱い人なりの生き方を確立してるせいでしっかりして見えちゃう感じ。
本当は一番助けが必要なのにな。なので友情テーマになるという。カップリングはストレートなんだけどどっか百合的な感覚があったことを覚えている。因果悟。
ってそういや悟の中の人女性説*1はあったのだった。それは悟×恵も仁×悟も萌え萌えになるので推奨したい読みだ。
それにしても、バーチャル3部作は変態すぎた……。俺の性癖が相当あれでゆがんだことは否定できない。萌えの語源(眉唾には思うが)に、げっ歯類人類に、因果悟だかんなー。一体なんの天才を育てるつもりだったのやら。
いやSFマインドも養われたと思うが。衝撃を熱に変換するバリア*2とか。

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過去の『ToHeart2 XRATED』姫百合姉妹シナリオ言及まとめ

ToHeart2 X-RATED:姫百合姉妹

(2006/6/3初出)
 ネットが繋がらない間エロゲがそれはそれははかどってあちこち手を出して、すでに真っ先に取り掛かったロストチャイルドの印象がぶっ飛んでるくらいなんだけど、その機会にTH2もとうとうプレイした。予想よりはるかに面白かったんだけど、シナリオ的には姫百合姉妹のルートが一番興味深かった。
 俺は、このシナリオは非常に重要な問題提起を含んでいると思う。
 それは、「愛は人を幸せにしない」ということだ。
 そして、「理解が人を幸せにする」ということだ。
 珊瑚と瑠璃はお互いをこの上なく愛しているが、すきすきすきーだが、それだけでは幸せになれない。イルファがいかに瑠璃を愛していても瑠璃を幸せにはできない。
 そこには愛がある。愛しかない。珊瑚も瑠璃もイルファも、想う相手が本当に望むものを「理解」していない。イルファに至っては自らの望みすら欺瞞している。ゆえに、貴明が介入しなければ、彼女たちは「正解」に辿り着けない。
 わりと察しのいい雄二が、姉妹と貴明の関係の持つ危うさを何も感じていないのが興味深い。
 雄二は、3人の作る場のありようまでは理解した。でもそれは愛なんだ。
 珊瑚と瑠璃が、お互いに愛し合っていながら理解し合っていないこと、貴明がかすかに気付きかけていたその謎に、雄二は丸っきり気付いていなかった。姫百合ルートにおける物語上の焦点は、主人公がヒロインの愛を得ることじゃないんだ。
 これが、エロゲーにおいては極めて重大な問題なんだよね。
 エロゲーを要素に分解するとエロ+ゲームとなる。この二大要素を効率よく活かす方法としては「エロをゲームの報酬にする」というのものがあり、この理論は何らかの形で多くのエロゲーに適用されている。同時に、シナリオも大抵はそれを前提として書かれる。
 「エロをゲームの報酬にする」理論の典型的な実装が、好感度システムとなる。そして、出会った二人が愛を高め合いついには結ばれるというのがエロゲーシナリオのある種の類型となる。
 が、しかし。このようなエロゲーを、ポルノとしてでなく、純粋にゲームとして、AVGとして見た場合、それは「正しい選択肢を選ぶことで新たなルートをオープンさせる」ゲームとして解釈される。これはミステリゲームによく似ている。いや、ていうか、エロ抜きギャル抜きのAVGって大方ミステリゲームじゃん。推理ゲームに限らずさ。それは、選択肢とフラグ立てというAVGの基本システムがミステリと極めて高い親和性を持つゆえだろう。
 つまり。AVGとは「謎」のゲームである。あるいはそれを「可能性」とも呼ぶ。選択肢とフラグ立てというAVGの根本システムが謎を孕み、可能性を秘める。大仰に言えば、未知の事柄への探求こそがエロゲを含めたAVGの根本的モチベーションだといえる。
 それを物語に還元すれば、あるいは殺人事件の謎となり、あるいは色んな女の子とイチャイチャできる可能性となるわけ。
 エロゲーシナリオは基本的に「色んな女の子とイチャイチャ」、もしくは「色んなプレイでエロエロ」理論を採用して、ゲームシステムとの整合を図っている。そこにミステリゲームの様式を応用したのが「ヒロインのトラウマ解消」だといえる。トラウマネタには色んな意味でエロゲーシナリオにおいて有効なんだけど、「ヒロイン攻略」と「謎解き」を両立する方法論として確立した面はあるんじゃなかろうか。
 ところが、従来のトラウマ解消ゲームは、いざそのトラウマを解消する段になると、えいえんだの何だのを持ち出してこざるを得なかった。別に安易なオカルト展開を批判したいんじゃなくて、「謎解き」そのものにカタルシスを持ってこられないのが問題なわけ。
 例えばKanon真琴ルートでは、真琴の正体が分かったところで一つカタルシスがあるのに、その後真琴の衰弱というもう一つのヤマ場を用意しなければならなかった。「えっちなゲーム」としては、苦労して真琴の正体を解き明かしたご褒美にエロエロなことをしたいところだ。美汐なんかとうだうだやってる場合じゃない……もちろん、読み物としてはそこからが面白いところなんだけれども。
 このゲーム上/物語上のヤマ場のズレは、リーフビジュアルノベル3部作、及びKey初期3作品に共通の欠点だと思う。これもまた葉鍵の呪いの一部。
 ちなみに、もうちょっとエロゲ的にスマートな解答がツンデレで、これはヒロインの本来の性格(デレ)が「謎」に相当する。この場合、本来の性格という「新情報」+デレデレエッチという「ご褒美」=エロゲー的カタルシス、さらにはヒロインの外面を突破した物語的カタルシスの合一を得ることができる。
 ……しかしね、これは俺も姫百合ルートをクリアするまであまり意識してなかった不満なんだけれども、そういう話だと、結局二人は愛し合ったので幸せになれましたって結論になるじゃん。なるよね? でも本当はそうじゃなくて、主人公がヒロインの本当の、あるべき姿を見出せたことが一番重要なことじゃないですか。例えば主人公がマゾ野郎で、ツンケンした女の子が大好きだったらどうなのか。愛し合うことができたとして、それは幸せなのか。女の子は愛してもらうより、自分のあるべき姿を知って欲しかった…教えて欲しかった、はずだ。もっと言えば、ゲーム的なカタルシスも、ヒロインの本来の姿を「発見」することにあるはず。そこが混同されている。つまり、
「愛は人を幸せにしない」のであり、
「理解が人を幸せにする」ということ。
 姫百合ルートの問題意識の鋭さは、愛し合うことが幸せに繋がらない状況をあえて作り出したところにある。結末に繋がる決定的なポイントは、誰かが誰かを愛することではなく、全員のあるべき姿を見出したことだ。愛ではなく、理解によってトラウマを解消してみせたわけだ。ツンデレ瑠璃を惚れさせることが問題の解決ではないんである。
 この理解>愛という思想は、珊瑚が「謎解き」に成功した貴明をレベル3に格上げしていることからも読み取れる。珊瑚にとっては、貴明が珊瑚をすきすきすきーなことより、もちろん瑠璃が貴明をすきすきすきーなことよりも、貴明がみんなで幸せになれる解決法を見出したことのほうが重要なわけだ。
 ヒロインが結局3人にもなっていることにも意味はある。要するに、一人に捧げる愛なんぞクソの役にも立たんという主張に他ならない。そしてそれは、ヒロインの心の問題を描こうとするあまり、主人公の幸せを蔑ろにしてきたエロゲーへのアンチテーゼでもある。珊瑚を想うあまり自らを空虚にした瑠璃の姿は強烈な皮肉だ。つまるところ「幸せになるしかないよ、タカくん」なわけで、みんなの望みの赴くままに辿り着いた結末が、
 4P!!
 最ッ高ーーーーーーーーーーーーー!!!! 俺ぁわりとマジで感動したね! エロゲだよ! これ以上ないほどエロゲだよぅ! 最初からこのオチを念頭に置いて全年齢版作ったとしか思えねえよ! 珊瑚のマッパもあったし!
 ま、欲を言えば、クライマックスあたりでもう一つくらい選択肢を用意して、ゲーム上の解決と物語上の解決の完全な合一を図って欲しかったのではあるけど。ぶっちゃけ最後のグダグダが長すぎる。そうだな、「瑠璃を追いかける/イルファを止めさせる」とかがいいだろうか。イルファの告白が最後のビックリ新情報だし、その前に関門が欲しい、かも。
 あとミルファのエロシーンが欲しいです。

ToHeart2 X-RATED:姫百合姉妹2―三宅章介と恋愛ゲー

(2006/6/4初出)
 俺は姫百合ルートをプレイしながら『天使のいない12月』を思い出していた。これは天いなの続きだなーと思った。やっぱりシナリオ担当は三宅氏だった。
 思えば、『こみっくパーティー』『天使のいない12月』『ToHeart2』と、三宅氏は一貫して「恋愛」というものに特別の価値を置いてこなかったようにも思える。こみパのゲームシステムはナンパゲーのそれであり、要するに女の子を引っ掛けるゲームなんだけど[1]、シナリオ内容を見ると色恋よりも夢を追うことが物語の軸になっている。
 それゆえに、ゲーム上の目標である女の子と物語上の目標である夢を合一させるため、こみパのヒロインは「夢の具現」でなければならなかった。初めてプレイしてから時間が経つにつれて詠美シナリオがお気に入りになってきたんだけれども、あれは主人公とヒロインの夢、さらにはエロゲー的トラウマ解消劇がガッチリ噛み合ってるところが素晴らしいね。その他のシナリオも、多くは恋愛より夢の成就に物語の焦点を合わせているようではある。でなければ、和樹は瑞希のために筆を折るべきだったね。もっとも、和樹と瑞希の恋そのものが夢として描かれるのがあのシナリオの良いところだと思うけど。
 こみパは恋愛に代わり得る「夢」というオルタナティブな価値観を提示したが、天いなでは恋愛という価値観が徹底的に否定される。シナリオ構造やゲームシステムなどの外装は典型的な恋愛ゲームを踏襲しつつ、本来ならゲームクリア報酬であり、愛の結晶であるはずのエロシーンがこれでもかというほど軽薄に、無意味に挿入される。製作者自ら萌えゲーではない、恋愛物語ではないと強調されたストーリーからは徹底して主人公とヒロインの恋愛が排除されている。
 そして、これは姫百合ルートをプレイして気付いたことなんだけど、俺が天いなに感じていたある種の潔さはまさにそこなんだよね。前回の記事でエロゲーにおける「謎解き」について述べた。主人公はヒロインへの愛ゆえに謎解きを志向し、それによって物語の根本的価値観が愛なのだと誤解されているという話。主人公がヒロインLOVEの一点張りで行動し、結局ヒロインのトラウマにロクに踏み込めていない『Fate/stay night』桜ルートなんかいい例というか悪い例だ。まああれはそういう話なんだけど。
 しかし、天いなは一切愛を語らない。「俺はお前を愛してないし理解もできん」というのはとんでもねーちゃぶ台返しかつ思考停止なんだけど、少なくとも「俺はお前を愛しているからお前のことがわかる」というエロゲー的命題よりはある意味で誠実ではあった。そして、お互い相手のことはわからん、というのを前提にした上で薄くかすかな共感を描いたストーリーが俺の胸にクリティカルヒットした。人は愛し合えなくても理解し合えるし、理解し合えなくても依存し合うことはできるのだった。
 と、ここまでが姫百合ルートへの前振りだったのだね。恋愛という価値観の相対化・全否定を経て、ついに理解という価値観と「謎解き」のカタルシスを高く謳い上げることができたわけだ。天いなのエロシーンで恋愛ゲームの規範(コード)を無視しまくったムチャクチャをやったおかげで、4Pへの倫理的ハードルが下がっていたような気もするし。
 とまれ、一見自明のような価値観を疑ってみることも大事なのだと思うことです。なんせLeafが4Pに辿り着いたわけなので。

『恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人×10説』を脱稿しました。

三宅章介を担当してます。『+30人×30説』に引き続いての登板ですが、今回はイラストがもらえるらしい! いやー、挿絵付けてもらうのひさしぶりだなー!
今回も、懐古趣味な原稿になっております。結論としては、るーこかわいい。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない7』雑感

今思えば、ポイントオブノーリターンは衝撃のメルル弁当(5巻)だったな。愛が……重い。ゼロ魔並に恐ろしいラノベになっている俺妹。
この世の中で真に恐怖すべきラノベゼロ魔しかなかった*1のだが、そこに俺妹も加わることになったようだな……。
男殺しと女殺しが飛び交う剣林弾雨。どんだけ戦場だよ。どんだけキルレシオ高けーんだよ。何人死んでんだよ。怖えーよ!
 
えーっと、今脊髄反射で歓喜してる黒猫派は冷静さを取り戻せ。これ、波乱の予感ED以外のナニモノでもないですから。

とらドラ!』っつうのは恐ろしく単純な話で、アレがなんかややこしく見えるとすれば、それはみのりんがヘンなせいだといっていい。
そういう意味では、とらドラとらドラたるゆえんは、虎でもドラでもなくみのりんにある。あーみんもとらドラを象徴するキャラだが、まあ、あれは結果だ。原因ではない。

超能力とは「クニ」である。

禁書にいわゆる魔術結社の人はあんまし出てこない、という忘れられがちな事実。出てきてもチョイ役。
魔術を含めた超自然的なパワーはしばしば権力のメタファであるのだが、いかなるレイヤの権力に比喩するからによって物語性は異なってくる。きのこ(伝奇)的なそれはムラでありヤクザでありゲマインシャフトだが、禁書目録ではクニであり政府/軍でありゲゼルシャフトだという。
世界に20人だけの聖人というのは、全十字教徒の1/20のパワーという意味だと思っている。これはモルモット2万人相当の一方通行よりかなり大きい。しかし作中での描かれ方にはそれほど差がないので、恐らく2万という数字が相当過小だったと思われる。
電波はほどほどにね。ビリビリ。

よく考えてみたら

「電気をたいせつにね。ビリビリ」*1は美琴の不遇ポジションをネタにしているのか? 地巫女の訴えみたいに。

*1:アニメ『とある魔術の禁書目録』DVD映像特典「とある魔術のインデックスたん」より