『花咲くいろは』第1話にまつわる公開質問状

id:matunamiにすすめられて、『花咲くいろは』第1話を観た。
本作の出来は、非常に良いといえる。作画・演出・脚本・企画の全てを含めて、すぐれてハイエンドな作品である。
ただし、現時点で、批評的見地からは疑問なしとしない。
ここでは、肯定派であるだろう松波さんを問答相手と仮定し、公開質問状を作成することで、私の抱いている疑問点を明らかにしたい。
公開時点では、私は第2話を視聴しているが、本稿は第1話のみに基づいて執筆されている。詳しくは、本日22時からの「もりやんと松波総一郎のWanna'be Cute!」で。
って、あと1時間ちょいだけど。

「本作は、緒花の失われた『人生』を回復する物語であるか?」

冒頭、家庭環境の描写が非常に印象的である。
緒花の一風変わった人物像は、このような家庭環境から生まれていると想像される。緒花は、肯定的な意味で、皐月を「見習って」もいる。しかし一方で、あまりに強大な「反面教師」の存在が緒花を束縛していること、皐月が緒花の日常と将来設計を破壊して恥じない、親として問題のある人物であることも間違いない。
常識的に見れば、緒花は不幸である。ここで想起されるのが『ハヤテのごとく!』である。『ハヤテ』は、明らかに、主人公・ハヤテが、両親に奪われた「人生」を、ナギの元で回復する物語だといえる。では、本作もまた、そのような物語として結実するのであろうか。

「民子というキャラクターを、いかに評価するか?」

本作のキャラクターは、個性的でありながら、その表現において一定の抑制を保っており、「アニメ的な」現実からの遊離を防いでいると考えられる
その中で、主人公であり、喜翠荘の「特異点」である緒花以上に戯画化された人物が、民子である。
「死ね!」という口癖もさることながら、板場の人間が、喜翠荘の庭先で、個人的に(?)、ノビルを育てているあたりなど、現時点での描写具合からは、ファンタジーとしか言いようがない。また、板前仕事に対する異常な入れ込みようは、何らか、トラウマの存在を想起させる。
これは、作品の「基準」を混乱させるように思われる。また、民子が象徴するテーマを、作品の軸として打ち出す意図を見出すことも、不可能ではない。というのも、民子が住み込みで働いていること、前述の板前仕事へのこだわりからは、彼女が家庭環境に問題を抱えていそうなことが透けて見えるからである。
民子は明らかに、緒花の「百合パートナー」として設定されている。物語が「緒花と民子の友情物語」として展開することには、どういった蓋然性があるだろうか。

「スイの緒花への叱責を、どのように評価するか?」

「リアルな」倫理観で判断するなら、スイの行動は、職業倫理の現れとして、肯定的な評価を与えることが可能である。
民子を叱責したことについても、緒花への指導効果を充分発揮しており、また民子の生活習慣の乱れが看過しがたいことも事実であることから、「旅館」という環境の特異性を根拠としなくとも、「従業員への指導」という観点からは肯定できる。
一方で、緒花が行動を起こすまで、民子の生活習慣の乱れが放置されていた点、緒花への業務指導が明らかに不十分である点などは、最終的にスイに責任を帰すべき事項であり、理不尽かつ無責任であるともいえる。具体的には、緒花への指導徹底を、改めて菜子に命じることが必要ではないだろうか。菜子は、半ば緒花への指導を放棄しているかにも見えるが、だとすれば責を問われて然るべきである。
なおかつ、緒花が保護者を失った未成年であることを考えれば、スイの態度が冷淡であることは否定できない。
とはいえ、かような一般的倫理判断において、スイの言動が必ずしも正当でないことは、ただちに作品評価上の問題とはならない。より重要なのは、スイが提示したような「旅館従業員としての倫理観」が、本作の物語上、どのような価値を持つのか、ということである。これはすなわち、本作を「緒花が、立派な旅館従業員に成長する物語」として解釈するのか否か、という論点に繋がる。
しかし、この論点は自明であるように思われる。緒花の「旅館従業員としての成長」は、本作の複数設定されたテーマのひとつにすぎない。なぜなら、緒花を取り巻く主要人物(皐月、孝一、民子、スイ)は皆、喜翠荘を経由しない関係性を、緒花に対して持っているからである。
かような視点を持つならば、スイの叱責(描写)への評価は、単に職業倫理的観点のみで語り得ないことは、明らかであるように思われるが、いかがか。

「本作の、『脱臼気味』の脚本をいかに評価するか?」

第1話の脚本は、複数のテーマに対し、提示の段階に留まらず、一定の「物語的問いかけ」を行っている。
以下、括弧内は緒花以外に当該テーマに関連して登場する人物である。

テーマ1
家庭環境(皐月)
テーマ2
恋愛(孝一)
テーマ3
新環境への適応(民子)
テーマ4
職業倫理(スイ)

本作においては、これら複数のテーマが、時系列的にはほぼ同時並行に進行している。一応はテーマ4が軸であるように思われるが、必ずしもその他のテーマが統合的に描かれている、ないし、そのような見通しが立つ状態にないと思われる。
true tears』と比較すれば、本作の「脱臼」ぶりは明白となる。『true tears』においては、乃絵が軸となるヒロインであること、眞一郎を巡る恋の鞘当てと、そこにオーバーラップして眞一郎の将来設計が描かれることが、第1話の時点で見て取ることができた。比べると、本作の視界は遙かに混沌としている。
本作が『true tears』のようなラヴストーリーではない以上、その物語性は、緒花の「一代記」的性格を強くするのだが、この緒花というキャラクターの語りがまた、混沌として、雲を掴むような有様である。これが、キャラクターとして魅力的であることは認めた上で、作品の構成上、ただちに問題なしとはできない。
付け加えるなら、本作に見られる、複数の倫理的問題意識は、いずれも価値中立的であり、いわゆる勧善懲悪的な、明快な倫理観を読みとることはできない。
この事実を、どのように評価するか。主人公を少女に設定した意味、民子とスイの作品構造上の関係はいかなるものか。

「緒花ちゃんにどういうスケベなことがしたいですか!?」

ええっと、もとい。フェラコラの素材めいたサービスカットをはじめ、尻もみもみや、OPでの下半身周りのだらしなさなど、緒花のセックスアピールはかなり強いものがある。
先述の通り、本作の読み筋はほぼ、「松前緒花一代記」に限定されると考えられる。ただし、それが「素人中居奮闘記」なのか、「現代版おしん」なのか、「だらしねえ下半身遍歴」なのか、判然としないし、どうとでも解釈できる。
つまるところ、最も素直に解釈すれば、「緒花ちゃんの可愛いところ見てみたい!」な作品であるとするのが、妥当ではないか。それは、なんというか、才能の不法投棄ではないのか。
つまり、緒花ちゃんにどういうスケベなことをしたいのかは、本作の読解上、最重要なポイントともいえるのではないか。つまり、みんな頑張って薄い本とか出してってこった。