ケンカにはルールが必要だ。

ある日、彼はすごく腹を立てていた。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観たのだという。

「なんですかあれは。なんというひどい映画。なぜ『私はやってません』と言わない。言えばいいじゃないか。死ぬ気になればなんでもできるだろ。だまって死ぬな、ばかやろう」

私はひどく感心した。私はあの映画を観て号泣したんだけど、考えてみれば、だまって死ぬのはやっぱり間違っている。なんという健全な感受性だろう、と私は思った。

残念ながら『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アバター』とも未見だが、ぼくが努めて忘れまいとしているのはこういう感性のことだ。
ぼくはしばしば「まっとうでない」と言って作品を批判するし、規範に沿っていないとか、ルールを破っているとか、こうあるべきとか、JKとかゆう。それは、創作というものが、作り手と受け手のコミュニケーションだからだ。コミュニケーションには言語が、言語には決まりごとが必要だからだ。
作り手がどうしようもなく天才で、意味はわからないがとにかくスゲーものを作ってしまうのならそれはアリだ。超凄いオナニーを見せつけてやるというのもそれはそれでアリだ。しかし、ぼくが求めているのも、目指しているのも、そういうものじゃあない。
作り手と受け手は違う人間なので、その狭間には本質的にディスコミュニケーションが横たわる。それを乗り越えるには、言語の力を借りる必要がある。そうしないのなら、伝わらないことについて文句を言う資格はない。だからぼくは、言語に、決まりごとにこだわる。
創作における決まりごととは、「ことば」に限らない。エロゲーにおける立ち絵芝居もそうだし、漫画におけるコマ割もそうだし、アニメにおける「間」もそうだ。セリフも、地の文も、音声演技も全部そうだ。全部、決まりごとに従って解釈される。そこでどんなルールが流通しているのかは、とても重要。
もちろん、「お約束」を律儀に守ることだけが、コミュニケーションではない。お約束を破ることも、コミュニケーションの手段になりうる。しかしそれは、見たままではなく、「お約束を破る」ということ自体がメッセージになるということを、知らなければならない。
「キャラクターが物語の都合で動いている」ということは、批判の対象になる。退屈だからだ。人工無脳のようなものだ。しかし、「そういうキャラクターだから」「そういう作家だから」という言い草で、決まりごとを無視(あるいは忘却)すれば、作り手と受け手のコミュニケーションは崩壊する。
天然や無法者は、人間としては魅力的かもしれないが、コミュニケーションの相手にはならない。創作の作り手が天然や無法者だった場合、受け手は、それを一方的に観察する他、取るべき態度を失う。それは、豊かだとは思えない。
他人の作ったものである以上、創作を完全に理解することはできない。しかし、そこで決まりごとが踏まえられているかどうかは、わかる。コミュニケーションできる相手かは理解できる。それは、「個性」以前の、創作に対する基本的な評価基準として、あってもいいのじゃないか。
コミュニケーションに必要なのは、まっとうな神経であり、常識=コモン・センスだ。それだって、立派なセンスだろう。ただ、注意しなければいけないのは、常識は、場によって異なるということだ。創作のジャンルによって、求められるコモンセンスは違ってくる。
ましろ色シンフォニーのラジオで、「いわゆる普通のエロゲーをはみ出している」ということを何度か口にしたが、それは、求められるコモンセンスが変わっているということを指摘したつもり。
例えば、個別ルートで他のヒロインがより積極的な役割を負っているのだから、ヒロイン同士の人間関係がいかに成立しているのかという点についても、ちゃんとした理由付けが必要だろうと。だから、愛理とみう先輩がなんで仲いいのかわからないことが、通常より重い意味を持ってくるってわけ。
コモンセンスはコミュニケーションのためにあり、コミュニケーションは互いに異なる個人間(例えば創作の作り手と受け手の間)で行われるのだから、それが完全に一致することはないし、独りよがりになってることもよくある。特に批評家気取りはそうだ。あれれ耳に激痛が。
では、常識が共有しきれない事態を避けるには、あるいはそうした事態に直面したとき対処するにはどうすべきか。共有を諦め、自らの拠って立つところを明らかにすることによって、互いの差異を受け入れるのがひとつ。互いが許容できる、より一般的・根源的なレベルで合意を目指すのがひとつ。
いずれにしても、創作を通じたコミュニケーションでは、動機付けについて語るのが有効と考える。「どんな作品を面白いと思うか」ではまだ足りない。「作品に何を求めるのか」「なぜそれを選択したのか」を考えるべきだ。
例えば、エロゲーで、ヒロインが主人公以外の男性と恋仲になるとする。一般的には受け入れられないと考えられる。なぜなら、プレイヤーはただ恋愛が見たい、ヒロインが幸せになるのを見たいわけではないからだ。わざわざ、ゲームを通じてヒロインを攻略する、そういうジャンルを選択しているのだから。
それでもなお、ヒロインが主人公以外の男性と恋仲になる作品を作りたいとする。それには、そりゃあ相応の理由付けがいるでしょうが。そこで表現したいなにものもないのなら、やめたほうがいいに決まっている。