メイド病

アンジェのメイド病が治った方が、というかメイド服が脱げた方がいいと思う理由。アンジェの問題はふたつ。「手段と目的を履き違えている」「職業に自己同一性を依存している」。前者については「旦那様は埋めてくださって」るということでいい。

つまり、新吾という奉仕対象を得たことで「手段のためには目的を選ばない」という一心不乱の大戦争状態は終結した。では、「職業に自己同一性を依存している」についてはどうか。これがまさにヘッドドレス問題なのだが、はっきり解決はしていない。
ただ、告白シーンでアンジェは、"メイドは……職業です""そうであるからこそ""なぜご奉仕するか、なんです"と言っている。アンジェを家に迎えるシーンで、新吾は"『アンジェ』と『メイド』は分けられる?"と言っている。ここでいうメイドとは、職業ではなく、精神であり生き様ではないかと。
アンジェが自分のあるべき形を誤解していたのみならず、今までアンジェがそうであった「メイド」と「新吾のメイド」は、もう別の存在なんだ、てのがドジっ娘アンジェに表れているわけで。で、「新吾のメイド」という有り様は、アンジェを規制するものではなく、自ずから発するものだと。
ヒロインの、主人公を救いたいという自発的な意思、てのはエロゲー的にすっごく重要。アンジェシナリオの一番泣けるところはそこだと思う。ゆえに。職業としてのメイドと、生き様としてのメイドは、峻別してもらいたい。そう、ヘッドドレスが取れるかどうかってとこで、分けて頂きたい。

ましろ色シンフォニー

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