『ハートキャッチプリキュア!』第2話 キュアフラワーが失敗な訳

『ハートキャッチプリキュア!』第1話に見る、周囲の支え・導きによって成長する少女像 - 猫拳@はてなで、キュアムーンライトやおばあちゃんがプリキュアを導く役割を負っていることを述べました。そうした観点から見て、おばあちゃんが先輩プリキュアであったことは、正しい道筋に見えるかもしれません。
しかし、これは明確に、もしかしたらシリーズ全体に影響する失敗だと思います。
ごく単純に問題を指摘すれば、ムーンライトとおばあちゃんの役割が被る、ということになります。第1話のムーンライトの役所がそのままフラワーであり、つまりおばあちゃんが(その場合は「お姉ちゃん」になるでしょうが)「先代」であれば問題はいくらか小さかったでしょう。
致命的にまずかったのは、おばあちゃんが「魔法世界の倫理」でしか、つぼみを導けなかったということです。
そもそもプリキュアシリーズにおいて、プリキュアが戦う動機――それは同時に困難に立ち向かってゆける理由でもある――は、個人的なものであり続けてきました。それは友達を、自分の住む町を守るためであり、あるいは自分の夢を叶えるためでした。例によってフレッシュが微妙ですがまあおいといて、概ねそうだったし、それがプリキュアの戦いが格闘でなければならない理由だというのは過去何度か言ってきた通りです。
そして『ハートキャッチプリキュア!』も、第1話の時点ではそう見えたわけです。友達になってくれようとした子、そしてプリキュアのパートナーとなる子を助けるためというのは、個人的であり、共感的であり、なにより「変わりたい!」というつぼみの願いときれいにマッチしていた。それでよかったんですよ。
ところが、第2話でおばあちゃんが、よりによって魔法サイドに対する日常サイドの象徴と見えていたおばあちゃんが、わけのわからない「使命」だのを語り出せばそれは台無しです。いや、「使命」を語るのはいい。しかしそれは「動機」とセットになっていなければ空虚です。
だからおばあちゃんは、こころの大樹を守ることは、えりかや同じような悲劇に見舞われる人を守ることなのだということを教えてあげねばならなかった。もちろんエピソードの意味としてはそういうことなんですが、わざわざ家族を元プリキュアにしてまで「使命」を強調することはないでしょう。
なによりも、おばあちゃんはつぼみが人の心を大切にできる子なのだということを教えてあげなければ、あるいは信じてあげなければならなかった。「お花が大好きだから」じゃねーっつーの。これがBパートのえりかちゃんと野草が同レベルっすか問題に繋がってきてしまうわけです。
つぼみがココロパフュームに選ばれた訳、プリキュアの使命を果たせる訳を語るべきは、妖精たちであり、ムーンライトです。おばあちゃんはもっと別の、つぼみのやさしさや、臆病さと裏腹の強さを理解してあげなければいけなかった。そうでなければ、家族にスポットライトを当てても無意味です。序盤からガンガン出すところまではよかったのに、家族になにをさせるかでしくじるとは思いませんでしたよ。
もちろん、当初はうまくいかなかったつぼみとえりかが友達になるにあたって、えりかの心を思いやるつぼみの気持ちが描かれなければ、えりかがいきなり心の傷をグリグリ抉られた甲斐がありません。それは、二人が「ふたり」であることをあまりにも当然視してしまった『ふたりはプリキュア!』シリーズを乗り越えるきっかけともなりえたはずです。第1話から期待したものはまさにそういう展開だったのですが、これは見当外れでしょうか。それとも、見込み外れというものでしょうか。

まとめ

  • おばあちゃんムーンライトの役目を取っちゃだめだよ
  • おばあちゃんなんだからブロッサムじゃなくつぼみを見てよ
  • サブタイトルの意味がそのまんますぎるよ
  • えりかちゃんがかわいそうだよッ!