マナのエーテル化とかナル化とか、基本的に有限資源ってのが中核的モティーフなんだよね。
資源獲得競争から生じる世界大戦を通じて人権問題と環境問題を描く、すさまじいエロゲーであったよ『永遠のアセリア』。持続可能な成長のために世界征服して技術規制を布くとかエコパンクすぎる。
『スピたん』は奴隷制から逃れるために新天地を目指す、自由を夢見るスピリットたちの絶望と希望の物語だったら面白かったに違いない。*1 *2 *3
『永遠のアセリア』は世界大戦を描いているから当然物理的な舞台はものすごく広いし、異世界召喚もの(さらには多宇宙もの)であるから世界観もとんでもなく広いのだが、有限資源モティーフがどうしようもない行き詰まり感を与えていて、つまり、セックスしたくなる。
論理展開の飛躍が酷いという物言いが入りました。
物語におけるセックスとは、すくなくともエロゲーにおけるセックスとは、可能性の淘汰の中で起こるものではなかったか。ソゥユートは妹に欲情したから抱いたのではない、必然だったから抱いたのだ。
無限に広がる神剣世界の中、ファンタズマゴリアの戦争という籠に閉じ込められた高嶺悠人には、スピリットを抱く以外に生きる道も、そこから逃れる道もなかったのだ。籠に閉じ込められた瞬間、例の赤い奴に逆レイプされてしまったことはその裏面だ。
いやまあプロローグがえらいこと長かったからファンタズマゴリアに行ったらとりあえずエロシーンを入れよう、という構成上の要請もあったものとは思うが。
行き詰まり生き詰まってゆく中、あえてその焦点に身を投げ出すことで生を得る、というのが『永遠のアセリア』の物語ではなかったか。それはエロスの発露であった。
ババァ千年の計に絡め取られ、ヴィンテージヴァージンを頂くハメになったとき、あえてそのホトに身を投げ入れることがソゥユートの勇気であった。英雄の資質である。
考えてみれば、ヒロインの都合に巻き込まれて強制セックスするハメに陥るものの、そこにあえて飛び込んでヒロインの身勝手な幻想を突き崩し、定められた運命を乗り越える時深エッチは、優れてエロゲー批評的だったとはいえる。
処女の妄想に対応する童貞の妄想は、例の赤い奴に犯されてとうに失われているわけだった。
レスティーナとかウルカとかの少女くさいチームより、アセリア・エスペリア・オルファあたりの身も蓋もないエロが印象に残っている。エスペリア中古だし。オルファはろりこんの人っておとなのじょせいが怖いんでしょ?なキャラだったし。アセリアはフェラした後うがいをする生々しさ。
エスペリアの性教育は実践的すぎる。世の中、性教育といえば裸エプロンとか足コキとか、初心者には難しい技ばかり教えるお姉さんキャラが大半だというのに。先任軍曹か。いやまあそんなようなものだったが。ノーヴィスにごっくんは無理、ということを前提に戦闘プランを立てる、エスペリアさんの戦場仕込みのリスクコントロールだ。ああ、エスペリアさんのヴェテラン口技特集が見たかった。
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