オタクフィクションにイヤな大人が出てこないのは『けいおん!』に始まったことじゃない

イヤな大人が出てこないのは『けいおん!』の重要なとこですよね、という論調を見かけて。
みんなきららイズムとけいおんの作品性に区別をつけようぜ。
ブギーポップ以来、紙のオタクフィクションはイヤな大人のいないところでやりすごしてきたのではなかったか。それはけいおんの特殊性でもなんでもない。まあ、そうしたマインドを前面に押し出したのがけいおんだ、くらいはいえるかもわからんが。
かつてオタクフィクションとはアニメとゲーム、すなわちチャイルディッシュとほぼ等しいものを指していたけれども、90年代前半に角川・メディアワークス戦争の中で生まれた電撃ブランドが、決定的にオタクフィクションというスタイルをチャイルディッシュから分派させたと。
そのさきがけとなったのは80年代からのOVAで、それは玩具のCM番組としてのアニメではなく、アニメファンのためのアニメ、アニメを観るためだけのアニメというビジネスを可能にした。
従って、ファン/マニア/オタクのためのフィクションであるOVAライトノベルは、旧来的な世代別マーケティングに必ずしも沿わない内容を打ち出すことができた。そこでは子供を描くにあたって大人を対置することが、必ずしも要求されない。
例えば、ライトノベル市場を劇的に拡大せしめた三大ヒット作――『スレイヤーズ』『ブギーポップ』『キノの旅』のいずれも、若者への年長者からの抑圧や、子供の正しい成長、大人の果たすべき役割といった、世代にまつわる物語性を持っていない。全く『エヴァ』とは対照的に。
電撃コミックスの寵児(かつ、現在の萌え4コマの源流)ともいうべき『あずまんが大王』にしても、子供―青年―大人の各世代を主要キャラクターに取り込みつつも、そこに世代的な意識(いわば『ガンダム』的な)は全く見られない。
例えば『ふおんコネクト!』のような、明確な世代的意識が浮上してくる作品こそ、世代別マーケティングとの分離が進んだオタクフィションにおいては、例外的であるといっていい。
アニメにおけるオタクフィクションは、比較的、世代別マーケティングに近しい分野であるから(「子供向け」作品からの影響が強いというべきか)、そこだけ見ていると、『けいおん!』のような作品が、ちょっと変わったものに見えるかもしれないけれど。

けいおん! (1) (まんがタイムKRコミックス)

けいおん! (1) (まんがタイムKRコミックス)

ふおんコネクト! (1) (まんがタイムKRコミックス)

ふおんコネクト! (1) (まんがタイムKRコミックス)