ツンデレストーリーはそもそも素直になれない女の子が素直になるもの

 概ね論旨には同意しますけど、特にヲタを批判して悪趣味とかいうのは、偏った議論だと思うな。
 ここで想定されてるツンデレキャラというのは、外面の「ツン」と内面の「デレ」にギャップがあるキャラということですけど、外面と内面のギャップに苦しむキャラなんて「ツンデレ」に限らず、男女問わずでいるわけじゃないですか。それはごく基本的なキャラ立ての手法であって、あえてヲタを、それも男性のヲタを批判するのは、バランスを欠くんじゃないですかね。
 世の物語の大半は登場人物の苦しみを見て楽しむもんであって、それが最終的に救われるかどうかってのは、ましてその内心にスポットライトが当たるかどうかなんてなのは、精神性においては目くそ鼻くそを笑う類の話じゃないかと、俺は思いますけど。確かに悪趣味だけど、その悪趣味は普遍的なものでしょう。
 そもそも、ほとんどのツンデレものはちゃんとツンデレちゃんの苦しみに焦点を当ててると思いますよ。特にエロゲーはそうですけど。
 ツンデレ、というか、「素直になれない女の子」というキャラクター像自体は、高橋留美子作品の例を挙げるまでもなく昔からあるわけです。ただ、今言われる「ツンデレ」っていうのは、基本的にエロゲを発祥とするものだと思って間違いないでしょう。
 そして、エロゲにおいては、ツンデレちゃんが気持ちを素直に表せるようになるところまで描くのが常套手です。なぜなら、エロゲはヒロインを攻略するものだから。ヒロインを「落とした」、と言って悪ければ「仲良くなれた」でもいいですが、とにかく「攻略した」ことの描写上の表れとしては、ツンケンしてた女の子がデレっとするというのは大変わかりやすいわけです。
 もちろん、そのためには、ヒロインがツンケンした態度を取らざるを得なかった要因を取り除く過程が、ストーリー上描写されることが求められます。ここでは、ヒロインの外面と内面のギャップによる苦しみ、そしてそれを生み出す原因が、まさに物語の焦点として扱われることになる。『フローラリア』の由佳里ルートなんか典型ですね。
 ま、中には
「べ、べつにあんたのために作ってきたわけじゃないんだからね!」
――だけで終わってる、インスタントな作品もあるかもしれませんが。
 ツンデレちゃんの外面と内面のギャップを生み出す要因を、男(主人公)が取り除く。これがツンデレもののストーリー類型です。そして、批判すべき点があるとしたらまさにここ。
 このような類型的ストーリーにおいては、ツンデレちゃん自身の、自らの苦しみに対するストラグル、解決への意思はほとんど重要視されません。主人公側からの働きかけのほうが力点を置いて描かれる。それは、苦しむ女の子を自分の手で救いたいという、男の身勝手な願望ゆえです。自力で解決されちゃっちゃあ、つまらない。これこそ邪悪というべきでしょう。でも仕方ない。俺だってそう思う。
 男の「自分の手で女の子を救いたい」という願望と、女の子の「自分なりの解決と生きる道を見出したい」という意思の相克を描いたヲタ向けの作品としては、『Fate/stay night』セイバールートや『マルドゥック・スクランブル』が優れていると思います。しかしわりと特殊な作品でしょうな。少なくとも先鋭的だ。
 しかしね、男に「自分の手で女の子を救いたい」という願望があり、それに応える作品があることは、俺はちっとも悪いことだとは思いませんよ。それを非難するのは、陵辱ゲーというジャンル全体に罵声を投げるのと同じナイーブな議論じゃないですか。願望があるのはそりゃ、しょうがないでしょう。それを客観視できないのは問題があるし、現実の女性に押し付けるがごときは言語道断でしょうが。
 俺の理想とする「ヲタク」という生き方は、願望充足装置を通して自己を客観視するものですからね。