『俺の妹がこんなに可愛いわけがない3』

正直、期待を超える出来栄えであります。精緻だなー。

俺妹3はなぜ素晴らしいか。物語の核となる京介と桐乃の関係性は、物語的に裏打ちされておらず、ただ「兄妹」である、とされている。これは端的に言って、物語が京介と桐乃の関係性の変化を目指して進展しないことを意味する。
その、物語的に無重力状態にある「京介は桐乃が妹だから放っておけない」というタームが、黒猫と共有されることで初めて物語の駆動力として機能した。つまり、俺妹は桐乃をゲットだよ☆にはなりえないが、桐乃の周りで他の人と絆を深める物語にはなりえた、と。
俺妹の中心は桐乃であって、桐乃と絡めようとすると「ブラコンの桐野が麻奈美に嫉妬する」にしかなりようがない麻奈美はやはり話作りにくいよなあ。
俺妹1時点では、桐乃ゲットだよ☆になりえないがために物語の推進力となる「予期」としてオタク肯定を導入せざるを得なかった。じゃあシリーズ化したらどうやってオチつけんだというのが問題だったのだが、この解決は3巻で示唆されている。つまり蓄積自体に価値があるということ。
京介が桐乃のために行ってきた「人生相談」それ自体は、桐乃ゲットだよ☆に繋がってはいけない以上物語的意味はないのだが、そうして過ごした時間/綴られたテキストそれ自体が価値を持つようになった、というのが俺妹3ではないか。
京介の桐乃への想いというのは、別に物語的意味もないし肯定されるべき価値もない。肉親の情が美しいという書き方にはなっていない。しかしそれが黒猫と共有されることでついに価値を持ち得たということではないかな。
そしてそれは、感情に実態がない以上、描かれた過去の行いがなければ黒猫とも共有しえない。2冊の分量が必要だったというわけで。
だから黒猫は「あなたは妹を愛しているように見えるけれど」とは言わない。それはそう見えるはずがないし真実でもない。黒猫は京介の軌跡にしか言及しないのだ。
京介が「いいお兄さん」なのは、桐乃のことを大事にしているからではなく、ただそこにある兄弟の関係に対して、誠実であるからなのだ。それは、兄弟であること自体が美しいことを意味しない。
京介は報われてはいけないのだ。そしてそれを周りの人は美しいと感ずるのだ。俺妹3正しいなあ。 俺が桐乃のデレに抵抗があるのは、「妹の美しさ」を描いてしまうと、「妹に対する京介の行いの美しさ」を殺してしまうと考えているからなのだな。

「京介は、桐乃が妹だから、お互い好きじゃなくても放っておけない」を「主人公は、そういうゲームだから、好きになる要素がなくてもヒロインと結ばれる」と読み替えると、俺妹はエロゲーの問題圏ではあるなあ。ある種の突破したエロゲーにも近い問題意識。
京介が別に好きでもない妹との関係に誠実であるように、エロゲーの主人公は特に理由なく結ばれるヒロインとの関係に誠実であれるか。