『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』はメタ?

主に1巻の話。
俺妹がメタだというのにはふたつの側面がある。ひとつは実在のニュースサイトの登場。もうひとつは、桐乃が直面する問題が、読者がリアルに抱えるヲタバレの恐怖だという点。 ^
前者については釣り以上の意味は何もないのだが、後者についてはラブコメ的な物語を駆動する上で必須だったと思う。というか、これがあるゆえに、桐乃は本当に兄のことが特別好きではないという解釈が可能だと言っていい。
俺妹の物語は、俯瞰的に見れば、兄貴が桐乃にカッコいいところを見せて惚れさせる話、という構造を持っている。しかし、桐乃が実妹であることと、兄貴を特別好きではないという記述がそれを否定する。一方で、まるで桐乃が実は兄貴を好きであるかのような記述も入り混じっている。
この点に関する重要な示唆がインタビューから得られる。

編集は桐乃に恋愛感情は無い派で、作者は有る派。作者が抵抗してコッソリそういう記述を入れた、という証言があった。
つまりリテラルにはどっちとも読める。しかし、桐乃に恋愛感情は有ると思って読まないと、物語の駆動力が抜け落ちてしまう。ラブ抜きのラブコメなんぞ、ただのリアルな兄妹の素描にしかならんわけですよ。
そこで、オタクがオタクのために書いてんだから、オタクを肯定するような展開になるんだろうな、という予期が発生して初めて、ラブ抜きで物語を駆動できる。
ゃいいんだからよ なのですが、まあそれじゃ読んでて盛り上がりもへったくれもないよね、つー話でして。
で、実在のニュースサイトを登場させること自体にはさしたる意味はないのだが、桐乃が読者と同一の「オタク」であることは、その観点から必要とされるわけです。はてなアンテナがどうとかの記述も、そういう機能は持ち得ている。
恋愛を描かない、キャラが恋愛してないことにする、というのは難しくもなんともないが、本来恋愛で駆動するような物語を恋愛抜きで駆動するには、それなりの手管が必要となる。
オタクナルシシズムがどうちゃらの話もあったようですが、美少女でありヒロインである桐乃に読者=オタクを投影することは、手段であって目的ではない。その本質はラブコメ構造の物語をラブ抜きで行う、という部分にあると考えます。
ところで、作者と編集の意見が割れていることで分裂症的な記述になっていることは、まあ、一般的にあまりいいことではない。ただ、そこで綱引きが行われているからこそ細部まで非常に神経の行き届いたものになっているという事情は恐らくあって、一概に否定されるものでもないのだろう。
しかし、ほんと桐乃ってなんなんだろうね。未だにどう解釈したものか悩んでいる。