萌え4コマはなぜ百合と結びつきやすいのか?

 表現形態上、作品世界において記述しうる「窓」が狭いために、見え方において女性のみの世界が成り立ちやすいことが一つ。ぶっちゃけ、女性しか出てこない普通の漫画って4コマに比べてちょっと違和感あるよねという話。
 そして、萌え4コマ漫画のリアリティレベルが低いといえるのは、概ね萌え4コマ漫画の絵は元のキャラクターデザインをデフォルメしたものになるからである。4コマ専用のキャラクターデザインがなされた萌え4コマは、実例を寡聞にして知らない。
 新聞連載漫画のような非萌えの4コマ漫画は、4コマ専用のキャラクターデザインによって奇妙な生々しさを持つ。これと比較したとき、萌え4コマの持つ虚構性が匂い立ってくる。
 んで、女の子しか出てこない萌え4コマ漫画に対して百合性を見出すとはどういうことかというと、どこかに「秘密の花園」との境界を見出しているということになる。それはどこか。作品と現実の境界としか解釈できない。それは読者の現実を成立要件に含む読み筋であって、非現実=二次元に強烈に傾倒しながらも、二次元と三次元の接続によってしか成立しない。あまりよろしくない想像力ではないかとは、まあいえるよね。
 個人的にはそういうのあんま好きくなくて、創作の価値観は創作内部のみで完結すべきと思っている。百合の美しさを描くのであればその根拠を内部に求めるべきで、それには作品世界が百合世界の外部を含んで成立しなければならない。つまり男出せ。
 そもそも百合世界は外部との境界によって定義されるのだから、百合を扱うにはその外部を描く、少なくとも存在を意識させることが必須ではないか。