可能な限り一般的な「百合」の定義を考えてみる

 百合とは何か。男性・女性・同性愛者・同性愛愛好者問わずの共通認識において、「百合」という言葉からイメージされるものの最大公約数は、「秘密の花園」だと俺は考えている。
 百合かくあるべしとか、百合かくも美しきとか関係なく、百合っつったらこういうイメージ、の話として、「秘密の花園」。
 「秘密の花園」とは具体的に何か。「秘密」であるからその関係性の実態は社会に周知されておらず、「花」であるから女性のみによって構成され、「園」であるから周囲との境界を持つ共同体ないし空間である。
 当事者が恋愛関係にある場合は、それが社会に周知されていてはならない。そうでないものは単純に同性愛、つまりレズビアンである。ただし、恋愛関係および肉体関係に至るものが全て百合ではないとするのは、実際的な定義ではないと考える。もちろん、明確な恋愛感情を含まない関係も百合として定義しうる。
 では、全く恋愛めいた含みを持たない関係は百合として定義しうるか? これは、「その関係の実態が社会に周知されていない」という定義から導きうる。ただの友達に見えて実際にただの友達なら、それは秘密ではない。一見同性愛関係に見えて、実態は友情など非恋愛の感情に基づく関係であるならば、そこからは百合臭を嗅ぎ取りうる。では、非恋愛の関係の裏に、別の非恋愛関係が隠されているような「秘密」の関係は百合と認識されるだろうか。されることもあるように思われる。当事者における同性愛的な感情の有無にかかわらず、そこに「想像の余地」があるかどうかで、それが百合的であるかどうか判断されているというのが実態に近いのではないだろうか。
 つまり、女性同士の実態不明な関係から、同性愛的関係を妄想する行為は、この定義においては、極めて百合の本質に近いといえるわけだ。逆に、それが第三者・作品の受け手から見て明らかに恋愛/非恋愛であっても、当事者がそれを確信していないものも、百合的といえる。
 百合的なるものが女性のみによってなる、あるいは男女混淆する世界から女性のみを分離することによって成立することは、特に詳説の必要はないかと思う。
 そして、その女性のみによってなる世界が「秘密」であるために、天下からその世界を断絶する境界として、なにがしかの共同体、または空間が必要とされる。
 以上、ぼくのかんがえた百合定義でした。