第5回『スマガ』レビュー公開しました

エンターテインメントは欲望とともに

entertainment

1. 楽しみ、娯楽{ごらく}
2. エンターテインメント、楽しませるもの、催し
3. もてなし、歓待{かんたい}、接待{せったい}

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世の中には多くのメディアがあり、様々なコンテンツが流通しています。その多くが、エンターテインメントに分類されるコンテンツです。
エンタメは、不特定多数の受け手を楽しませるために発展してきました。そして、人を楽しませるのにもっとも直接的で有効な方法は、その欲望に答えることです。
多くのエンタメ作品で見られる「勧善懲悪」というスタイルは、「悪党は懲らしめらてほしい」という大衆の普遍的欲望に答えるものといえます。
異性との恋愛も普遍的欲望のひとつであり、恋愛を扱う作品はあらゆるジャンルに多数存在します。これは「自分の身に起こってほしい」欲望ですが、「人の不幸は密の味」というように、悲劇も古今東西、人気のあるジャンルです。
このように、人の欲望にある程度の傾向があるとはいえ、その実体は個人ごとに様々です。従って、確実に受け手の欲望に訴えるためには、受け手の欲望をコントロールする必要があります。多くのエンタメがジャンルフィクション化するのは、こういった理由からです。例えば、「冒険活劇」というジャンルが成立していれば、壮大な舞台とピンチの連続、それを乗り越える主人公の勇気……といったものが求められていることは、かなり明確になります。
全てのエンタメ作品が素直に受け手の欲望を叶えるわけではなく、あえて受け手にショックを与えるような作劇を行うものも少なからずあります。しかし、それも欲望に対応し、それを利用して受け手を引き込んでいる点で変わることはありません。

美少女ゲームにおける欲望の様態

では、美少女ゲームにおいて想定される受け手の欲望とはどういったものでしょうか。
美少女ゲームの定義は色々と考えられますが、ここでは「美女・美少女の絵によるポルノグラフィ」「ゲーム」によって成立するものとします。
そして、ここでの「ゲーム」とは「困難→達成→報償」のシークェンスを持つものとします。この定義はそのままゲームに対する欲望のありかたを表しています。つまり、困難を乗り越え報償を得る、ということが、受け手のゲームに対する欲望です。
「美女・美少女の絵によるポルノグラフィ」についての欲望は、歴史の中で変遷と多様化が見られます。代表的なものを挙げれば、「現実で触れ得ない美少女の実在」「美少女との恋愛・コミュニケーション」「美少女の性的描写」「現実ではありえないエロティック・フェティッシュな性的描写」といったところでしょうか。
これらの欲望は各個人・各作品により当然軽重があり、特にゲーム要素については基本的にオミットされていく傾向にあります。
ただし、美少女ゲームがあくまでゲーム――インタラクティヴメディアであり、プレイヤの作品世界への介入が行われる以上、それは小説・漫画・アニメ・映画といった諸メディアとは異なる様相を持ちます。すなわち、プレイヤの代行者としてのキャラクター=プレイヤーキャラクターの存在です。
典型的な美少女ゲームにおいては、物語の主人公は男性であり、主人公がプレイヤーキャラクターとなります。従って、主人公が欲望の主体、ヒロインが欲望の対象=客体となります。プレイヤの美少女と恋愛したいという欲望を主人公が代行し、その欲望に従って物語が進行するわけです。
もちろん現実の作品は遙かに多様化しており、このような一面的な理解が及ばない作品も少なくありません。しかしながらこの構造があくまでも美少女ゲームの基本形であり、そこからの変形として諸作品を捉えるのが問題の整理に役立つと考えます。

そして、そうした美少女ゲームの多様なありようのひとつとして――そして、『スマガ』という作品を解釈する上でも重要な前提議論のひとつとして「Kanon問題」を取り上げなければなりません。
先述の通り、美少女ゲームにおいては「主体=主人公」、「客体=ヒロイン」という欲望の構造が基本となります。その前提に立って考えるのなら、ほとんどの美少女ゲームで採用されるヒロイン分岐構造は、欲望の対象を選定するシステムといえます。
選定ということは、それは必ず取りこぼしを前提とします。これが議論されたのがいわゆる「Kanon問題」であるといえます。Kanon問題とは、簡単にいえば「『Kanon』において、あるヒロインを救済したとき、他のヒロインは救済されていないのではないか」という問題意識です。
Kanon問題の是非については、ここでは述べません。しかしながら、ヒロイン分岐構造が本質的に取りこぼしを生む構造であることは疑いようがありません。そして、この問題の最も直接的な解決は、ハーレムルートという形になります。
しかしながら、ある種の――物語性を重視する――作品においては、そうした「全部攻略」という解決に一直線に向かえない場合があります。しばしば、ヒロインを攻略することが、その不幸を救済することに繋がっているにもかかわず、です。
そのような場合、個々のヒロインを個別的かつ同時に救済するのではなく、ヒロインを不幸にしている世界のシステムを問題解決の対象として、根幹を断つことによって結果として全員救済を得る、という作劇がしばしば取られるのです。例えば、『デュエルセイヴァージャスティス』や『CROSS†CHENNEL』といった作品です。
デュエルセイヴァージャスティス』のトゥルールートにおいて、主人公・大河は、ヒロイン全員と肉体関係を結んだ後、世界に滅びをもたらす根元である「神」と戦うため、世界を去ります。
『CROSS†CHENNEL』では、繰り返す悲劇のループを断ち切るため、主人公・太一はヒロインのみならず、友人も含めた人間全員と別れるという選択を取ります。
最終的に、大河はアヴァター世界に帰還し、太一は(おそらく)ラジオでのみ人と繋がり生涯を終えた、という違いはあるものの、世界のシステムにコミットすることは、愛する人々が生きる世界からの超越・乖離に繋がります。それはとりもなおさず、分岐する各ストーリーで個別に救済されるはずのヒロインを同時に救済したいという欲望が、世界をメタ視する、超越的なレイヤに位置するからです。
ただし、Kanon問題とはあくまでも、個々のヒロインへの欲望から発生する問題意識であったということは確認しておかなければなりません。それは、「誰も不幸にならないハッピーエンド」への欲望ではない。であればこそ、『Kanon』以降のシナリオゲームはシンプルな大団円を必ずしも志向してきませんでした。
ヒロインを選択するというメカニズムがもたらす快楽、ヒロインとの個別的な関係の上に成り立つ運命的な繋がりへの欲望が前提としてあり、その矛盾に焦点を当てたのがKanon問題であるといえます。


では、美少女ゲームの一作品である『スマガ』においては、どういった欲望の有様が見られるのでしょうか。



以上は色々と前提議論になりそうなので転載。続きは月刊ERO-GAMERSにて。

スマガ 通常版

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