平坂読『僕は友達が少ない』

 シリーズ平坂読第2弾。
 前掲記事で述べた通り、ぼくは『ラノベ部』に大きな衝撃を受けた。これは杉原智則における『レギオン』のような集大成、かつ転換点となる作品ではないかと感じた。従って次回作は注目すべきものとなった。脱皮した暦たんのつるつるのお肌を拝んだろやないか、という話である。
 で、『僕は友達が少ない』(以下公式に則り『はがない』)だったわけだが、正直、ぜんぜんうまそうなにおいがせんかった。地雷回避装置が働いて完全に忘れていた。のだが、2巻発売以来Twitterで評判がかまびすしく、まあ、いいか、買っちゃえ、となって、6軒ハシゴしたあげく全センサーをオフにして1巻だけ購入した。
 読んだ。
 微ッ妙〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 なんでって、『ラノベ部』で誉めたところがことごとくなくなってるから。
 小説には重要なシーンと重要でないシーンがあり、両者がはっきり分かれているのはよくないことだ。いらんシーンは切れって話になるっしょ。『はがない』では、重要でないシーンは完全に重要でないまま終わる。
 「キャラクターが自発的に恋しはじめるダイナミズム」。皆無。夜空も星奈も明らかなフォーリンラヴイベントがある。しかも隣人部の日常と全く関係ねえ。その上最後にいきなりズドンと投下されるので、ほんとうにそれまでの日常描写いっさい関係ねえ。それなら最初ッからそういうラブコメとして書きゃあいいっしょお。夜空のエピソードなんか伏線ないじゃん。基本平坦な日常ってツマんねえんだからさあ。
 キャラクターの自分なりの考え。皆無。キャラの個性が非コミュ・エロゲオタのテンプレギャグとして処理されている。星奈は己がいかにして萌え4コマを好きかちゃんと語ってくれた潤にあやまれ!
 これについては星奈がアホなんだからしょうがないじゃんという指摘を受けたが、書いてないもんを読みとれというのが無茶な話なので星奈はテンプレエロゲオタとしか解釈しようがない。つか、いくら言語能力が低いったって自分の個別的な経験からエロゲヒロインに惹かれる理由を語るくらいできるはずっしょ。自分語りのできないヲタになんの魅力があろうかって話です。ちがうか。いや違わない。
 星奈のそれは明らかにミソジニーであって、それは周囲の女に傷つけられてきた経験からきているはずなんだけど、それが「友達がいない」=「残念」として一緒くたにされちゃってるので、エロゲオタ属性に個別的な意味を持たせるどころか、むしろテンプレエロゲオタ解釈を強めてる。
 つまるところ、「残念」というテーマにキャラが振り回されている。一貫したテーマ性があるってふつうは誉めるところだが、「残念な僕らがいかに生きていくか」みたいな物語上のテーマに昇華されるわけでも(1巻時点では)ないし、最後に「残念」と関係ない重要なシーンが投下されるので、結局全部意味なかったよねってことになる。
 彼らは「残念」であることに一家言持っていないし、それゆえに「残念」なりに変化するダイナミズムも持ち得ていない。ラノベ部』の長所が見事に反転している。
 友情と恋のダブルヒロインというアイディアはふつうに面白げなのだが、最後に突然提示されても困るし。ちゃんとそれに合わせて物語立ち上げたほうが強いじゃあーんどう考えても。
 ていうか、冒頭でレギュラー全員出しといて1巻では夜空星奈幸村しか揃わないバランスの悪さはなんなんだろう。明らかにメイン格の夜空星奈と比べると幸村が弱すぎているだけ邪魔。隣人部が完成するまでの物語として読むには彼らが同胞を求める切実さが描かれてないし、ふつうにダラダラした日常を楽しむには「現状は不完全です」って困るじゃん。1・2巻でセットの作りなんだろうが、ここまで1巻が不完全なら同時刊行すべきじゃないの?
 現時点での結論。ラノベ部』超オヌヌメ

友人曰く。

「主人公のイラストがイケメンすぎる。デフォルメだといくらかマシだが。イケメン設定なの?」
 いや、ぶっちゃけ竜児。コワモテ設定。
「見えねえよ」
 ごもっとも。
「わざわざ本文中でヒロインふたりともツリ目って書くのなんなの? 絵師が困るだろそりゃ。ヒロインふたりとも同じ顔になっちゃイカンだろ」
 電車の中で読み始めたので扉絵は飛ばしておりました。扉絵見てからだとちょっとテンションが下がったかもしんない。
「開始10pでヒロインダブルゲロって、ギャグ……なのか? 残念っつか、悲惨だろこれ。一発目はともかく、もらいゲロは生々しすぎる」
 ギャグ半分マジ半分って感じっすね。

僕は友達が少ない (MF文庫J)

僕は友達が少ない (MF文庫J)