エロゲーにおけるヒロインプレミアム化戦略

そういえば○作シリーズとかピアキャロはエロシーン不在によるヒロインプレミアム化戦略だったのか。
ヒロインプレミアム化戦略の退潮、その原因をピアキャロの失敗という一点に安直に委ねるのは、もちろんよくない。では何が原因だったのか。
トラウマとエロなしヒロインを、とりあえず「到達困難性によるヒロインプレミアム化戦略」と一緒くたにしてみる。で、ヒロインに到達できないエロゲークソゲーなので、後者は失敗した。
さらに、ヒロインがプレミアムであるからこそプレイヤーは困難を乗り越えてヒロインに到達しようとするわけで、到達困難性によるヒロインプレミアム化は、倒錯している。絶対に靡かない女についつい貢いでしまう男の心理。いい女かつ簡単に靡く女のほうが好ましいに決まっている。
とすると、トラウマによる物語上の「ヒロインへの到達困難性」は、ゲームメカニズムが齎す困難性の補助、ないし代替であるという解釈ができるわけだが
ヒロインが自ずからプレミアムであればそれを困難性によって補強する必要はないし、非マゾゲー化はゲーム史上の必然であるので、「到達困難性によるヒロインプレミアム化戦略」はまとめて退潮した、と考えられる。
そして、頑張らなければヒロインと仲良くなれなかった(ヒロインを救えなかった)エロゲーは、頑張らなくてもヒロインと仲良くできるものに変質してゆく。
今気付いたが、エロゲーのゲーム上の褒賞が「ヒロインと仲良くなる」ことから「ヒロインを救う」ことに遷移したのは、その前段階として「頑張らなくてもヒロインと仲良くなれる」ようにするためじゃないのかな。その上で困難→達成→褒賞シークェンスを行うとそういうことになる、と。
で、エロゲーがゲームであり、困難→達成→褒賞シークェンスを内包することを前提とすると、褒賞であるヒロインはプレミアムでなければならないのだが、なぜかそれは「安い」ものになってゆく。
エロゲーヒロインがチープ化した理由はいくつか考えられる。ビジュアル高品質化の限界、読み物的作品が市民権を得たこと、あるいはエロゲー自体がカジュアル化したことなど。結果としてヒロインにプレミアム感は求められなくなっている。
問題1。エロゲーヒロインがチープである現状に問題はないのか。これは、ゲーム性を捨てたエロゲーに未来はあるか、という問いと符合する。全くないとはいえまいが、それは他メディアとの違いを出しにくくなる戦略であって、はやり廃りに強く影響されよう。
近年そこはかとなく流行している、「お姫様/お嬢様ヒロイン」はまさにプレミアム感を付与しようとするものだろう。しかしその効果は一時的なものだ。数が増えればすぐ飽きる。
時限性のヒロイン、というアイディアはそれなりに有効に思われる。いつかくる別れを見越したもの。実は「お姫様との限られた蜜月」というのはジュヴナイルポルノでわりと見られる。
主人公と特別な関係を持つヒロイン、もアリ。中二病系エロゲではやりやすくて、そのテの作品が多いのは単にFateの影響とばかりはいえない。いや、それも含めてFateの影響っちゃーそうだが
ヒロインの到達困難性でなく主人公の欲求を強化することで相対的にプレミアム感を高める、という手法も考えられる。言い訳めいた設定でなく、ガチでモテない主人公とかね。それが急にモテるようになるにはややこしい手管が必要になってしまうが。
あとは到達困難性でなく選択自由度、攻略性でなくインタラクティヴィティに可能性を見出だすか。人工少女には未来がある。そしてヒロイン選択メカニズムは本当に重要なんだよという話。
ヒロイン選択がなければエロゲである必要性はほとんどなくなる。
以上問題2、いかにして到達困難性に頼らずにエロゲヒロインをプレミアム化するか、に対する試答。
問題3、ゲームの報償としてのプレミアムなヒロインなしにいかに他の美少女メディアとの違いを出すか、もあるけどめんどっちくなってきた。
こーゆー話をするのは、おこがましくもエロゲーの発展とか生き残りとか考えてるわけなんですが、これを議論として広めようと思うとエロゲーの母集団をどの範囲で取るかってけっこうややこしいよね。
ぼくは「ポルノでありゲームであるもの」と原理的に捉えている、というかその範囲の作品が滅びないでほしいなあ、と願っているわけですが。そこはべつに滅んでもいいし、という向きも最近は少なくない悪寒。