ユニセックス百合と女百合

 伊都工平天槍の下のバシレイス』を読んでいたところ、かるく百合っぽいシーンがあって少々意外の念に打たれた。というのも、伊都の既読作品『モノケロスの魔杖は穿つ』『さくらら』が、いずれもかなり保守的な男女観に根ざした作品だったからである。
 特に『モノケロス』は、惚れた女を守るためにお姉ちゃんを泣かすわ、(文学的な意味の)愛人を利用するわ、彼女は彼女で尽くすタイプだわで、素晴らしくマッチョイズムに溢れている。そこがいいんだけど。
 こうした保守的な男女観と、百合萌えというのが、相容れないように思い、違和感を覚えたのだ。
 しかし、考え直してみると、両者が同居する作品は少なくない。
 たとえば『ロウきゅーぶ!』もそういった作品に数えられるだろう。主人公は紳士に分類してよい男であるし、基本的な恋愛観はごくストレートなそれといえる。(ヒロインがロリばっかなのにロリコンですらない。)一方で、同性愛的描写は避けられているものの、物語の主要なテーマの一つは明らかに少女同士の絆で、それは比較的容易に百合読みに転じうる。
 ほかには、http://d.hatena.ne.jp/catfist/20090316で触れた『バニラ』やシュピーゲルシリーズも、少女同士のときに同性愛的な関係を主眼に置きつつ、「傷つける性」=男性と「傷つけられる性」=女性(少女)の関係を深く内面化したものといえる。
 『断章のグリム』もその系統に分類できる。7巻『金の卵をうむめんどり』は百合っぽい描写が多くて大好きなのだが、基本的な性観念はやはりストレートであるし、少年主人公・白野蒼衣が介入してくる。蒼衣の「女の子を救えなかった自分」という自意識がこの作品の根底にあり、蒼衣とヒロイン・雪乃の恋愛関係においても、その男女観は極めて保守的だ。
 こうした作品は、保守的な男女観に根ざしつつ、女性の女性性を強調し、または男性的世界との差異を描く上で同性愛・百合を扱っているといえるだろう。その意味では『マリア様がみてる』の系統も保守的男女観に根ざすものと思われる。
 一方で、きらら系に代表される萌え4コマ、ないしそれに準ずる文化を持つストーリー漫画や、『咲』などは、女性性の強調というのは不自然だろう。もちろんこれらの作品は少女の「かわいさ」を描くことを主眼とし、そのなかで百合描写が要請されるのだが、その性観念はより革新的な、ユニセックス寄りのものといえよう。
 非きらら系の4コマ漫画『ももいろスウィーティー』では、百合的な描写が一部で見られるものの、作中の恋愛描写は男女性愛を基本としている。しかし、そこでは男も女も「かわいい」ことが是とされ、その点ではユニセックス的な世界観といえる。
 こうして、「女性的な」百合・「ユニセックス的な」百合というふうに分類してみると、両者の性観念はかなり様相を異にしている。前者がより同性愛的、レズ的なものという傾向は見いだせないでもないが、決定的な差異とはいえない。
 おそらく、「女性的な」百合作品が世の百合ファンに広まらないのは、そこが影響しているのではないだろうか。